過ぎ逝く時の中で(2023.10.15日作)
わたしは最早
未来を生きようとは思わない
現在 八十五歳と六カ月
残り少ない人生
日々 精一杯 今 この時を生きる
わたしの人生
総ては夢の様に過ぎて逝った
風と共に去りぬ
あの人が亡くなった
あの人は昨日死んだ
幼馴染の友人 同級生
同じ世代を生きた著名な
あの人 この人 次ぎ次ぎと
同じ時 同じ時代を生きた人々が
この世を去って逝く
八十五歳六カ月
人の命は百二十歳が限界
過日 新聞紙上で眼にした事実
人の命の限界百二十歳
わたしに残された人生 命の限界
三十四年と六カ月
その三十四年と六カ月
わたしの肉体は耐えられるか ?
日々 衰えの顕著な今日 この頃
肉体 精神 頭脳
限界まで耐え得るか ?
日々増す 衰えの実感
不安は募るばかり
今日 あの人が逝った
昨日 あの人が亡くなった
日々 やせ細ってゆく
わたしの わたし達の生きた時代
時代の記憶 総ては遥かなものとして
過ぎ去り 遠ざかり
遠のいて逝く
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いつか来た道 また行く道(30)
「俺の名前なんて関係ねえよ。俺はただ、中沢栄二が居る場所を教えて貰えれば、それでいいんだから」
「何故、あなたはそんなに、その人に拘るの。その訳を教えてくれる ?」
わたしは相手の気分を変えるように穏やかに聞いた。
「奴には大きな金額の貸しがあるんだ。だから奴に逃げられちゃあ困るんだよ」
「それでわたしに、その人の居る所を教えろって言うの ?」
「そう言う事だ」
「あなた何か勘違いしてるんじゃない。わたし中沢栄二なんて人、全く知らないわよ」
「あんたもしぶといねえ。いくら、しらを切ったって駄目なんだよお。俺の手元にはちゃんとした証拠があん(有る)だから。いいかい、俺はあんたの顔を見た事がねえんだ。これまで何回か、あんたの生(なま)の顔を見ようと思ってずっと待ってたんたけど、旨くいかなかった。そっで(それで)ゆうべ電話をしたんだけど、人違いなんかじゃねえんだ。雑誌で見た<ブティック・美和>の広告にあんたの顔写真が載ってた。それを見て、ああ、この女だ、ってすぐに分かった。中沢がカモにしていたのはこの女だ ! 奴から預かっているネガの写真の中の女とあんたとはおんなじ人間なんだよ」
「写真って、どんな写真 ?」
わたしは心の凍り付く思いで言った。
「あんたも見てると思うよ。確か、奴がそんな事を言ってたから」
「その写真をあなたが持ってるの ?」
「そうだ。借金の形にね。ただ、中沢が借金を戻す事を前提に封は切らねえ約束だったんだけど、肝心の中沢が居なくなっちゃった。そっで、封を切って見みると中から出て来たのがあんたの写真のネガだったって言う訳よ。奴はネガだって事は言ってたけど、何処の誰とは言わなかった。何人もの写真を持ってたからね。俺に喋ると一番大事な商売の邪魔をされると思ったんじゃないの。でも俺は、はなから奴の商売の邪魔をする気はなかったし、金さえ貰えればそれで良かったんだ。だけっど、肝心の奴が居なくなっちゃった。奴からすれば俺の前から消えなければなんねえ理由はねえし、消えるなんて事も出来ねえんだから、これはなんかあったな、って思った訳だよ。そっで、封を切ってネガを焼いてみたらあんたが出て来たっていう事なんだ。あんたに取っては決っして都合のいい写真ではねえし、あんたに聞けば何か分かるかなって思ったのさ」
「それで電話をして来たの ?」
「そうだ」
「じゃあ、一度会ってゆっくり話しをしましょうか ?」
「あっ、いけねえ。テレホンカードが無くなっちゃった。切れるかも知んねえから、今夜また電話をするよ」
その言葉と共に電話が切れた。
わたしは話し相手の居なくなった受話器を握ったまま、いつまでもぼんやりしていた。
受話器を元に戻した事さえ覚えていなかった。
その後、わたしは一体、専務や秘書に何を言ったのだろう ?
それぞれが用件を抱えてわたしの室(へや)に来た事だけは記憶にあったが、何を話したのかは全く覚えていなかった。
それでも、専務や秘書が、格別、怪訝な顔をする事もなく室を出て行ったのは、それなりに適切な対応が出来ていた、という事だろう。
わたしは専務や秘書が出て行った後もずっと椅子に座ったままでいた。
動けなかった。体中の筋肉が瓦解してしまったかのように、力が抜けていた。ようやく事務所を出たのは八時に近かった。
事務所を出ると何時ものように下の店舗へ行った。
終業時間が十時の店内には、まだ客の姿もあって華やぎに満ちていた。
わたしはゆっくりと店内を見て廻った。
様々な棚やガラス戸の奥に並んだ商品の数々が、鮮やかな感覚でわたしの視線を捉えて来た。
総ての商品がブランド物と言われる一流品だった。
これが全部、わたしのものなんだ !
何時もなら溢れるような幸福感で、自分が生きて来た人生の充実感に包まれ、限りない上昇志向に充たされるのだったが、今夜のわたしは違っていた。
眼に触れるものの総てが何故か空しく、空虚なものにしか思えなくて、奇妙に遠い感覚の中にあった。
フェラガモ、ヴァレンティノ、シャネルもジバンシーもサン・ローランも、何時ものようにわたしに微笑み掛け、心を酔わせて寄り添って来る事はなかった。
あらゆるものが遠い感覚の中にあった。
店員達は皆、わたしに鄭重だった。
わたしは彼等や彼女等に優しく労いの言葉を掛けた。
何時も、わたしのする事だった。
しかし、今夜のわたしの心はそこには無かった。遠い世界の何処かをさ迷っていた。
わたしは心此処にないままに店を出て駐車場へ降りて行った。
車のドアを開けて座席に座った。
何時もの様にスロープを上がって地上へ出た。
多分、あいつが何処かで見張っているだろう。
そう考えたが気にしなかった。
どうとでも、したい様にすればいいんだわ。
信号待ちで青信号に変わると鬱憤を晴らす様に、一気に加速を掛けて車を発進させた。
男が尾行して いると分かったのは北沢に入ってからだった。
何時も必ず、即かず離れずの距離に居る車に気が付いた。
改めて注意をしてみると、巧みに信号待ちをしながら、決してわたしの車の側へは寄って来なかった。
見えなくなったと思ったら、猛烈な勢いで追い掛けて来る。
常に他の車の陰に車体を寄せているのが分かった。
一体、何が目的なんだ !
電話を掛けて来た男と同じ人間なのか ?
どうしよう・・・・?
このまま自宅へ直行してしまっていいんだろうか ?
わたしの住むマンションの大きな建物が暗い夜空を背景に見えて来た。
意外な程さっぱりとわたしの心は決まっていた。
構うものか、このまま駐車場へ入ってしまえ。
どうせ、首根っこは押さえられて居るんだ !
それでもわたしは、普段、帰る道とは違って狭い路地の間へ入って行った。
相手の車が見えなくなると、猛烈な速さであっちの道、こっちの道、とジグザクに走りながら、自分にも分からない路地の間を走っていた。
目印は絶えず視界にあるマンションの建物だった。
尾行車はわたしの車を見失ったらしかった。
二十分程走って大通りへ出た時にはわたしの車の外には車の影は見えなかった。
わたしは夜の闇に感謝しながら逃げ込むようにしてマンションの駐車場へ車を入れた。
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takeziisan様
何時も有難う御座います
今回も様々な花々 楽しませて戴きました
女郎花 懐かしいですね 故郷の野山には普段に見られた花です
あの頃の思い出 情景が蘇ります
キミガヨラン 初めて名前を知りました 近くの家に
この花の大きな木があります その花の季節には何時も
気になっていた花ですが名前は知りませんでした
木犀は早くも落ちる花に 悩まされています
ダイコン 間引き しっかり自分の仕事 務めを果た終えた後の
静かな日常生活の中の一つの楽しみ それに今時の
これまで経験した事の無い野菜の高値 家計にも優しいですね
趣味と実益 それに美食 羨ましい限りです
山の趣味 憧れは尽きないのですが 出不精の自分には
他人様の絵を見る事で気分を満たすより仕方がありません
ですから普段観ないテレビなどでも自然や地方の穏やかな生活ぶり
などを映した番組などにはなんとなく心を引かれて観ています
イッセキ 初めて知る言葉です
一番の席 という意味が込められてでもいるのでしょうか
方言にはその地方独特の香りがあってなんとなく心の温もりを覚えます
寄り合い家族 東京へ出た時 最初に住んだのが池袋でした
山手線(当時の呼び名)で次の次の駅が巣鴨で懐かしい響きです
物語 楽しみにしています
有難う御座いました
桂蓮様
コメント 有難う御座います
近況が語られていて とても興味深く拝見しました
一度アクシデントがあると人の心はなかなか元に戻れません
でも その人に意欲さえあればまた新しい気力も湧いて来る
のではないでしょうか
人を取り囲む環境は日々 移ってゆく 昔に戻る事はない
肉体も然り 結局 今を生きる事しか出来ないという事でしょうね
禅の思想もそこにあると思います 囚われるな 良きに付け 悪しきに付け
今を生きる
移りゆく時は誰にも止められません
老いる軌道 気にしない 気にしない あるがままに生きる
坐禅の中で得た心が生きているのだと思います
お見事です
コメント共々 面白く拝見させて戴きました
有難う御座います
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