「踏切が喜んでやがる」

あることがきっかけで、『父子草』(67)を40数年ぶりに再見した。この映画は、東宝・宝塚映画だが、監督・丸山誠治、脚本・木下惠介、音楽・木下忠司という布陣なので、東宝と松竹の合作のような雰囲気がある。
舞台は、竹子(淡路恵子)が踏切近くのガード下で営む屋台のおでん屋。そこの客となった土工の平井(渥美清)、苦学生の西村(石立鉄男)、西村に思いを寄せる美代子(星由里子)が織りなす人間模様を描く。
平井は一見、飯場暮らしの粗暴な男。だが、実は戦後、シベリアで抑留され、苦労の末に帰国するが、すでに死亡したものと見なされ、妻は弟と再婚していた、という悲しい過去を持つ。彼は「生きている英霊」として故郷を捨てざるを得なかった男なのだ。
その平井が、偶然知り合った西村に別れた息子の面影を見出し、彼を援助することを生き甲斐としていく。この2人を、母や妻のように温かく見守る竹子(淡路恵子が絶品!)。つまり、この映画は、なでしこの別名だという『父子草』をタイトルとする“疑似家族”の物語なのである。
老け役の渥美と淡路の会話の掛け合いは、まるで出来のいい古典落語を聴いているような味わいがあるし、対照的に、若き日の石立と星が初々しい魅力を発散する。特に暗い話題を明るく話す美代子=星がけなげでかわいい。だが、脇役の浜村純、大辻伺郎も含めて、もう誰もこの世にいないんだなあと思うと寂しい気もした。今や自分はこの映画の平井よりも年上になっている…。
ところで、この映画の裏の主役は、節目節目で映る踏切のシグナルと、印象的に響くチンチンという音だと言ってもいいだろう。
冒頭、踏切の音がうるさいという平井に対して、竹子が「あの踏切のチンチンだって、日によっちゃ色んなふうに聞こえるんですよ。うれしい時には喜んでいるように聞こえるし、悲しい日にゃ泣いてますよ」と語る場面がある。
その時、平井は「そんなのは女の耳か豚の耳だ」と毒づくのだが、これが伏線となって、ラスト近くで平井が吐く「踏切が喜んでやがる」という名セリフにつながる。このあたり、さすがは木下惠介という感じがするし、池上線の踏切近くで育った自分にとってはこの感覚はよく分かるのだ。
舞台設定は東京になっているが、走る電車は見慣れないものだった。調べてみると、どうやら阪急電車の沿線でロケをしたようだ。そうか、宝塚映画だもんな。

あることがきっかけで、『父子草』(67)を40数年ぶりに再見した。この映画は、東宝・宝塚映画だが、監督・丸山誠治、脚本・木下惠介、音楽・木下忠司という布陣なので、東宝と松竹の合作のような雰囲気がある。
舞台は、竹子(淡路恵子)が踏切近くのガード下で営む屋台のおでん屋。そこの客となった土工の平井(渥美清)、苦学生の西村(石立鉄男)、西村に思いを寄せる美代子(星由里子)が織りなす人間模様を描く。
平井は一見、飯場暮らしの粗暴な男。だが、実は戦後、シベリアで抑留され、苦労の末に帰国するが、すでに死亡したものと見なされ、妻は弟と再婚していた、という悲しい過去を持つ。彼は「生きている英霊」として故郷を捨てざるを得なかった男なのだ。
その平井が、偶然知り合った西村に別れた息子の面影を見出し、彼を援助することを生き甲斐としていく。この2人を、母や妻のように温かく見守る竹子(淡路恵子が絶品!)。つまり、この映画は、なでしこの別名だという『父子草』をタイトルとする“疑似家族”の物語なのである。
老け役の渥美と淡路の会話の掛け合いは、まるで出来のいい古典落語を聴いているような味わいがあるし、対照的に、若き日の石立と星が初々しい魅力を発散する。特に暗い話題を明るく話す美代子=星がけなげでかわいい。だが、脇役の浜村純、大辻伺郎も含めて、もう誰もこの世にいないんだなあと思うと寂しい気もした。今や自分はこの映画の平井よりも年上になっている…。
ところで、この映画の裏の主役は、節目節目で映る踏切のシグナルと、印象的に響くチンチンという音だと言ってもいいだろう。
冒頭、踏切の音がうるさいという平井に対して、竹子が「あの踏切のチンチンだって、日によっちゃ色んなふうに聞こえるんですよ。うれしい時には喜んでいるように聞こえるし、悲しい日にゃ泣いてますよ」と語る場面がある。
その時、平井は「そんなのは女の耳か豚の耳だ」と毒づくのだが、これが伏線となって、ラスト近くで平井が吐く「踏切が喜んでやがる」という名セリフにつながる。このあたり、さすがは木下惠介という感じがするし、池上線の踏切近くで育った自分にとってはこの感覚はよく分かるのだ。
舞台設定は東京になっているが、走る電車は見慣れないものだった。調べてみると、どうやら阪急電車の沿線でロケをしたようだ。そうか、宝塚映画だもんな。