
50歳の放送作家・工藤正秋は、ある日、阪急神戸線に乗車中、車内アナウンスの「西宮北口」を「いつの日か来た道」と聞き違える。そして、小学生の頃、たった一度だけ、父と西宮球場でプロ野球を観戦した日を思い出し、球場跡地に建つショッピングモールへと向かう。そこで思い出に浸るうち、なぜか正秋は試合当日の昭和44年へとタイムスリップ。若き日の父と出会い、父の過去や、父の初恋の女性について知ることになる。
阪急ブレーブスと西宮球場への追憶を枕に、主人公の父の初恋の人を通して、北朝鮮の帰国事業の悲惨な実態を明らかにする。前半はほろ苦いノスタルジーを、中盤から後半は極限状態に置かれた者の苦難を描き、前向きなラストで締めるという構成。
作者が放送作家だけあって、例えば、山田太一の『異人たちとの夏』、浅田次郎の『地下鉄(メトロ)に乗って』、あるいは山崎豊子の『大地の子』などの影響を感じさせながらも、事実(元阪急の高井保弘とロベルト・バルボンには実際に取材)と、フィクションを巧みに融合させて一気に読ませるところがある。
主人公が自分と同じ年という設定なので、関西と関東という育ちの違いこそあれ、うなずける(身につまされる)ところも多かった。自分自身は、当時は巨人ファンだったが、日本シリーズでたびたび対戦する阪急も好きなチームだったのだ。