『ダイ・ハード3』(95)(1995.6.6.20世紀フォックス試写室)
この「3」の製作が噂に上り始めた頃、スティーブン・セガール主演の『沈黙の戦艦』(92)が先に作られて、当初の“海のダイ・ハード”という目論見が崩れたマイナスはあったのだが、それを差し引くとしても、この映画の出来はあまりよくない。せっかくジョン・マクティアナンが監督に復帰したというのに…である。
シルベスター・スタローン主演の「ランボー」シリーズが、主人公をどんどん超人化させ、ストーリーをパワーアップし過ぎて、おかしくなってしまったケースとよく似ている気がする。
そして、ジェームズ・キャメロンの『トゥルーライズ』(94)同様、破壊やパニックの大げさな描写を見せる方にばかり気を取られて、肝心のストーリーがおざなりになっているのである。
最初の『ダイ・ハード』(88)が、何故あんなに面白かったのかと言えば、アクションシーンはもとより、等身大の主人公ジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)が持つ意外性、彼を取り巻く人々との絡み、閉ざされた場所に張りめぐらされた様々な伏線などが、見事だったからだ。言わば、内面の面白さが外面の派手さを食っているところに魅力があったのだ。
ところが、この映画の超人化したマクレーンには、もはや意外性が持つ面白さはない。そして、ニューヨークという巨大な街が舞台となったせいで、ストーリーも散漫なものになった。
というわけで、シリーズもの故の悲哀を感じずにはいられないのだが、日本でも、最近、オウム真理教関連のさまざまな事件があっただけに、今までは他人事として見られたこうしたテロの残忍さが、現実的な怖さを持って迫ってくるところがあり、何だか、たかが映画として見られなくなったところもあった。いずれにせよ、このシリーズは、もうこの辺りで打ち止めとした方がいいと思う。