『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』(97)(1998.11.)
およそ18年前の作品を、なぜいまさら特別篇として公開しなければならなかったのか。製作意図を図りかねる。
八代亜紀が違和感たっぷりにテーマ曲を歌い上げるオープニングに面食らい、後は、皆若かったなあ、当時は自分も二十歳の大学生だ、などと、ひたすら懐かしさに浸るだけ…。新たに撮り足された満男(吉岡秀隆)のパートもあまり精彩がない。渥美清へのオマージュは『虹をつかむ男』(96)で済んだのではなかったのですか、山田さん…。
【今の一言】今回の『男はつらいよ お帰り 寅さん』にもう一つ乗り切れないのは、この映画と重なる気がするからなのだ。
『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』(94)(1995.2.14.丸の内松竹)
これまで、このシリーズの全ての作品を見てきたのだが、今回ほど見ようか見まいか迷いながら、その結果、ある覚悟を持って見たのは初めてだった。その覚悟とは、シリーズとの決別。つまり、長い間お世話になった人に最後のお別れをしにいくような気持ちだったのである。
実のところ、このまま自然消滅してくれたらどんなに気が楽だろう、というのが本音だ。それは、また来年作られたら、覚悟がぐらついて、見てしまいそうな自分が怖いからだし、老いていく身内を見捨てるような後ろめたさを感じるところもあるからだ。
思えば、本来は虚構であるはずの映画の中に、役者たちが老いていく姿をリアルタイムで焼きつけたのは、このシリーズが初めてだったのではないか。だから、前例がない分、作る方も、見る方も、収拾の付け方が分からないのかもしれない。
そして、バッドタイミングで流れ始めたTVCMで、寅ではない渥美清本人の老いに改めて気づいて、がく然とした人も少なくないと思う。これまでは、見続けることが恩返しだと思っていたのだが、それは逆にこのシリーズの首を絞めていたのかもしれない。今こそ、見ないことで終わりにしてあげる勇気を持とうではないですか。ファン諸氏。
今月の雑誌『東京人』の特集は「寅さんと東京」みたことのない東京ロケ地案内。
冒頭の対談で山田洋次監督が「不寛容な時代はこの厄介な男(寅)をどう迎えるか?」と問い掛けているのが興味深かった。例えば、昔は寅のような、ちょっと困ったおじさんと電車やバスで一緒になっても、さほど気にならなかったのに、今は誰かがちょっと咳をしただけでも、迷惑そうな顔をされるし、自分もしている気がする、と反省させられた。「くるまや」店員の三平役の北山雅康へのインタビューも珍しいもので楽しく読んだ。
川本三郎氏の「京成電鉄沿線ロケ地を歩く」では、「もうひとつの寅さんの町」として、柴又の隣町で我が住処がある金町が紹介されていた。確かに、『続 男はつらいよ』(69)の散歩先生(東野英治郎)の家は金町だし、寅は時々ここで商売をした。『~心の旅路』(89)の淡路恵子は「金町出身」だと言っていた。
また、実質的な最終作となった『~紅の花』(95)のラスト近くで、寅(渥美清)とけんかをし、柴又からタクシーに乗ったリリー(浅丘ルリ子)が、運転手(犬塚弘)に行く先を「金町」と告げる。金町からJRに乗り換えるつもりだったのだ。ところが、そこに寅が乗り込んできて、かっこをつけながら「男が女を送るって場合は、その女の家の玄関まで送るってことよ」と言う。喜んだリリーは「金町じゃなくて、あたしのうち(奄美大島の加計呂麻島)まで行って」と言って運転手を困らせる、というシーンがあった。思えば、これが寅とリリーが交わした最後の会話となった。などというように、「『男はつらいよ』には、本当に、金町がよく出てくる」のである。
『男はつらいよ 寅次郎の青春』(92)(1993.1.30.丸の内松竹 併映は『釣りバカ日誌5』)
もはや渥美清は、寅さんと心中してしまうつもりなのだろうか。だとすれば、あれだけの名優にしては何とももったいない話だ。今回もゴクミの4連投であり、結局“満男の青春”で寅は動かない。否、もう動けないということか。
例えば、パトリス・ルコントの『髪結いの亭主』(90)を意識したような、風吹ジュンとの床屋での長回しのシーンは、本来ならちょっと色っぽいシーンになるはずなのに、渥美清のあまりの老けぶりが露になってかえって切なくなった。
ひよっとして山田洋次は、半ば意図的に、レギュラー陣の老けぶりと満男の成長を対照的に見せながら、諦めの悪い観客に「もうよしなよ」と言わせたいのかもしれない。そんな気もする、ここのところの4作である。
そして、今回で満男の恋にも一区切りをつけてしまったからには、もはや隠し球は残っていない。となると、テレビ版のように、寅の存在自体を消すしかないのだろうか…。
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「KyodoWeekly」11月25日号から「11月の映画」 共同通信のニュースサイトに転載
https://www.kyodo.co.jp/national-culture/2019-12-11_2423397/
『男はつらいよ 寅次郎の告白』(91)(1992.1.25.丸の内松竹 併映は『釣りバカ日誌4』)
好調『釣りバカ~』で笑わされた後で、今の寅さんを見るのはとてもつらい。両作を対で見ることで、もはや「男はつらいよ」が喜劇ではなくなってしまった、という事実を改めて知らされるからである。
実際、今回もゴクミの三連投=満男の恋という、本来ならサブストーリーとなるべきものが本筋になり、寅さんが完全な脇役になってしまうこと自体が、すでに「男はつらいよ」ではなくなっているのに加えて、渥美清をはじめ、レギュラー陣の顕著な老けぶりも見せられては、笑うに笑えない。
例えば、森川信、松村達雄のおいちゃんの跡を継いで、寅とやり合うことで、一家のアンサンブルの中で騒々しいドラムの役割を果たしてきたタコ社長(太宰久雄)までが、あーやつれてしまっては、けんかの場面も哀れさが先に立って素直に笑えないのだ。
今回の救いは、サブ・マドンナの吉田日出子の存在だったが、それとて決して喜劇としてではない。寅さんまでがシリアスな『息子』(91)のようになると、見る方はそれを求めていないのだから、つらいよ山田さん。
いい加減、ここらで幕引きとはいきませんかね。今時これだけ客を呼べたらそうもいかないって。だけど、何度も言うけど、寅さんたちはゴジラとは違って生身なんだから…。頼むから何とかしてあげてよ。
『男はつらいよ 寅次郎の休日』(90)(1990.12.31.丸の内松竹 併映は『釣りバカ日誌3』)
長いシリーズの歴史の中でも、マドンナ(後藤久美子)の連続登板は初。しかも、その相手は満男(吉岡秀隆)であって寅さんではない…。と、もうここまでくれば、男はつらいよ=車寅次郎という、シリーズの基本が失われ、脇役・寅次郎という何とも寂しい立場となる。
もちろん、これだけ長きにわたってシリーズを続けてくれば、渥美清の年齢を考えれば、こうしたところに話が行き着いてしまうのは当然なのだが、そうまでしてシリーズを続けていく意味があるのか、という疑問が残る。
これは、例えば、野球で言えば、かつての大選手がたまに代打で出てきたり中継ぎで登板するようなもの。相撲で言えば、大横綱が休場を繰り返しながら何とか現役を続けているようなものである。
われわれ見る側は、彼らの全盛期を知っている分、思い入れが強い分、その引き際には潔さや美しさを求めてしまうのだが、それと似た思いを、虚構の世界であるはずの映画に対して感じるのは本当につらいのだ。
『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』主人公のレイ役のデイジー・リドリーにインタビュー取材。
ついでに来日記者会見も取材。
https://tvfan.kyodo.co.jp/news/topics/1207976