1月18日は元イーグルスのグレン・フライの命日。もう5年もたつのか…。
https://tvfan.kyodo.co.jp/music/news-music/1257952
グレン・フライが…
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0df92ecb70ad6109f0844a4cd4006009
1月18日は元イーグルスのグレン・フライの命日。もう5年もたつのか…。
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グレン・フライが…
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恋人を射殺した罪で服役中だった音楽プロデューサーのフィル・スペクターが獄中死したという。
スペクターと言えば、「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれた独特の重厚な音作りで知られ、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」(63)やビートルズの『レット・イット・ビー』(70)のプロデュースが有名だ。
ジョンとジョージは『レット・イット・ビー』でのスペクターの“仕事”を評価したが、ポールは「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」にオーケストラやコーラスをオーバーダビングしたスペクターの“過剰なプロデュース”に憤慨し、これもビートルズの仲違いの原因の一つになったのでは、と言われている。
ビートルズ解散後、ジョンは『ジョンの魂』(70)『イマジン』(71)『ロックン・ロール』(75)で、ジョージは『オール・シングス・マスト・パス』(70)でスペクターを起用したが、『ロックン・ロール』では、スペクターがマスターテープを持ち逃げし、レコーディングが中断。結局ジョン自らがプロデュースし直した。スペクターは、才能はあるが、いろいろと問題もある人物だったのだろう。
ポールが主演した『ヤァ!ブロード・ストリート』(84)では、ニューアルバムの曲を録音したマスターテープが行方不明になるが、多分この事件を参考にしたのではないかと思う。
また、スペクターの仕事ではないが、「ビー・マイ・ベイビー」を模したような「恋のウー・アイ・ドゥ」(色っぽいお姉さんだったリンジー・ディ・ポール)や、スペクターのサウンドに影響されたような「シュガー・ベイビー・ラブ」(ルーベッツ)がラジオから流れてきた中学生の頃も、今となっては懐かしい思い出だ。
『レット・イット・ビー…ネイキッド』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/226f6ea66b4471db1064deee88f76c32
『ドリームガールズ』(06)(2007.3.9.品川プリンスシネマ)
1960年代のデトロイト、成功を夢見る女性3人グループ・ドリーメッツ(ビヨンセ・ノウルズ、ジェニファー・ハドソン、アニカ・ノニ・ローズ)は、野心家のカーティス(ジェイミー・フォックス)にスカウトされバックコーラスに。次第に人気を得て、大スターとなっていくが…。
モータウンの功罪をモデルに描かれたブラック・ミュージックのパワーが炸裂するミュージカル映画だが、社長のベリー・ゴーディJr.やダイアナ・ロスがよく映画化を承諾したなあ、と思えるほど、結構赤裸々に描かれたエピソードが多い。
で、見た当初はアカデミー賞をはじめ、各賞を総ナメにしているハドソンの迫力に圧倒されたものの、後日アカデミー賞の授賞式を見た時には、ハドソンの歌は粗削りで(そこが魅力ではあるのだが)、実はビヨンセの方が歌手としての総合力では上なのではないかと感じた。
まあこのあたりも、映画で描かれた2人のキャラクターと通じるものがあるのだが。麻薬に溺れ、転落していく人気歌手を、巧みなイメージギャップで演じたエディ・マーフィも良かったが、彼に捨てられるマネージャー役のダニー・グローバーもなかなか渋くて良かった。
先日、ニュース番組でのさだまさしへのインタビューを見ながら、この映画のことを思い出した。
『翔べイカロスの翼』(80)(1981.1.23.ゴールデン洋画劇場)
カメラマン志望の青年が、サーカスの写真を撮るうちに魅せられて自らも入団。ピエロとなって活躍し、サーカスのスターとなるが、最後は事故死する。実話を基にした映画で、主演と音楽はさだまさし。監督は森川時久、脚本は松山善三。
さだはちょっと置いて、団長役のハナ肇、母親役の奈良岡朋子、尾藤イサオ、橋本功、そして宮口精二、曾我廼家五郎八といった脇役たちが皆好演を見せる。
特に、昔ピエロだった老人を演じた五郎八がすごかった。娘(倍賞美津子)の情夫(蟹江敬三)に突き飛ばされ、ケーキに顔をめり込まされ、クリームだらけになった顔で「これが道化だ。自分の体を痛めてひと様を笑わす。これが道化だ」と語るシーンには鬼気迫るものがあった。
さて、主演のさだだが、驚くなかれなかなかの好演を見せる。素人がサーカスに入ったらあんな感じだろうなという雰囲気を醸し出し、初めは興味本位だった主人公が、段々とサーカスにのめり込んでいく様子を素直に演じていた。
そして、街の子どもに「昨日のピエロ死んだんだろ」と聞かれた団長の子が「生きてるよ!」と答えるバックに、突然「笑ってよ君のために~」と「道化師のソネット」が流れ出す…。そんなラストシーンに思わず泣かされてしまった。
正直なところ、さだまさしはちょっと苦手なタイプなのだが、『二百三高地』(80)の主題歌「防人の詩」や、この「道化師のソネット」を聴くと、彼が優れた音楽家であり、詩人であることだけは素直に認めざるを得ないと思う。
松山善三の脚本の力もあり、サーカスと言う特異な世界を舞台にした、青春ドラマとして、あるいは群像劇として、なかなかいい映画になっていると思う。ピエロの動きにチャップリンの姿が重なって見えた。
「決戦!関ヶ原~空からスクープ幻の巨大山城~」(NHK)
航空レーザー測量による、赤色立体地図を作製。西軍が築いた巨大な山城・玉城の存在を明らかにし、そこから、関ヶ原の合戦の「通説」を覆すような仮説を立てる、というなかなか興味深い番組だった。
見ながら思い出したのは、司馬遼太郎の『関ヶ原』のこと。いまだに、多くの人が“司馬史観”の影響を強く受けていると感じた。
その『関ヶ原』は、1981年にTBSの開局30周年としてドラマ化され、正月に3夜連続で放送された。当時のメモを。
「関ヶ原」(1981.1./2.3.4.)演出・高橋一郎、鴨下信一、脚本・早坂暁、音楽・山本直純。
徳川家康(森繁久彌)のタヌキ親父ぶりや、それに対する、石田三成(加藤剛)の理を唱えながら敗れた悲しさが印象に残った。所詮三成は天下を治める器量を持っていなかった、ということなのだろう。
天下を治めるには、家康のように、時にはタヌキのように人をだまし、おだてすかして味方に付け、逆らう者にはひたすら厳しく…というような、柔軟性がなければならないのに、三成には倫理の正しさはあっても、家康のような人を引っ張っていく器量の大きさがなかったのだ。司馬遼太郎流に言えば「歴史は三成よりも家康を選んだ」とでもなるのだろうか。
キャストは、へたな映画よりもよっぽどすごい。特に島左近役の三船敏郎と大谷吉継役の高橋幸治が出色で、三成の影が薄くなってしまったのは誤算か。石坂浩二のナレーションは、あー司馬遼太郎の世界、という感じだった。
さて、歴史ドラマには二通りの描き方がある。一つは、国を動かすような人物や勝者を主軸にすえた場合、もう一つは名もなき者や敗者の側から描いた場合である。
例えば、「太閤記」は豊臣秀吉を百姓上がりの英雄として描くが、「黄金の日日」(78)のように、秀吉を民衆を苦しめる権力者として描き、対する石川五右衛門らを反逆のアウトローの如く描くような場合もある。
去年の大河ドラマ「獅子の時代」も後者に属すだろう。アウトローの平沼銑次(菅原文太)と理想化肌の苅谷嘉顕(ここでも加藤剛!)という架空の人物を主人公とし、時の権力者である伊藤博文を憎まれ役として描いていたが(伊藤役が「黄金の日日」で五右衛門を演じた根津甚八だったのも面白い)、その半面、伊藤が明治の元勲として描かれることも多い。
歴史は、作家たちに、それぞれの視点や想像の余地を与える。それが歴史ドラマの魅力であり、多彩な作品が生まれることにもつながるのだろう。
36年後の2017年に原田眞人監督が映画化した。
【ほぼ週刊映画コラム】『関ヶ原』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1b30f874cb3ade78c787c3a431449cfb
【インタビュー】『関ヶ原』原田眞人監督
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5fa6ad3450d7047f5187df905d858b83
共同通信エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
老人が主役の2本の映画
『43年後のアイ・ラヴ・ユー』と『キング・オブ・シーヴズ』
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1257193
『ズーム/見えない参加者』(2021.1.12.オンライン試写)
これを“映画”と呼んでいいのか…
ロックダウンされたイギリスを舞台に、Zoom(ズーム)を介して死者と交信を行う「Zoom交霊会」を始めた6人の男女が、次々と不可解な現象に見舞われる姿を描く。新型コロナウイルスによる外出自粛などで世界的に広まったWEB会議ツール「Zoom」を題材にした新感覚ホラー。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(99)や『パラノーマルアクティビティ』(07)のような、ドキュメンタリー映像のように見せかけて演出したモキュメンタリー映画の一種。全てがパソコン画面で展開する『search サーチ』(18)があったが、この映画も、ほぼ全編がZoomの画面内で進行する。
オンライン試写で見たので、まるで自分もZoomに参加しているような妙な気分になった。ただ、アイデアは面白いが、果たしてこれを“映画”と呼んでいいのか…という疑問が頭をもたげる。
第1章:戦後のスーパースターを観るための極め付き三十五本「初めにミフネありき」「裕次郎のスタイル」「待ってました、健さん」「鶴田浩二のディレンマ」「菅原文太の多面的な立体感」「遊びを謳歌する森繁、加山、植木」「座頭市の勝、眠狂四郎の雷蔵」「寅さんこと渥美清」
第2章:不世出・昭和の大女優に酔うための極め付き三十六本「吉村公三郎のピース缶」「原節子の気品」「独身を通した小津安二郎」「そして昭和の伝説と化した」「田中絹代の苦悩と絶望」「絹代に恋した溝口健二」「成瀬巳喜男のマジック」「高峰秀子のプロ意識」「杉葉子の水着姿」「ミス日本・山本富士子の黒髪」「京マチ子から松坂慶子まで」「佐久間良子の唇」「若尾文子の奇妙な笑顔」
第3章:忘れがたき名優たちの存在感を味わう三十本「森雅之のサングラス、宇野重吉の松葉杖」「杉村春子の前掛け」「伊藤雄之助とキャベツ」「骨太の岡田英次と繊細な木村功」「仲代達矢と中華まんじゅう」「一匹狼の佐藤慶」「ダボシャツの小沢昭一」「上原謙、池部良、笠智衆」「天才・フランキー堺」「柴田恭兵の最高の笑顔」
『小説新潮』に連載されたものをまとめたもので、監督や作品ではなく、スターを軸にして戦後日本映画史を語っている。全体的には、多少独善的なところも見受けられるが、映画記者時代に垣間見たスターや監督の逸話はなかなか面白かった。
『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97)(1997.8.7.日比谷映画)
『ジュラシック・パーク』(93)の続編で、前作に続いてスティーブン・スピルバーグが監督。今回は恐竜が米本土に上陸する。
ジュラシック・パークをめぐる事件から4年後、調査隊の一員だったマルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)は、ジェラシック・パークの設立者ハモンド(リチャード・アッテンボロー)から呼び出され、恐竜たちの繁殖の調査を依頼される。だが、ハモンドのおいのピーター(アーリス・ハワード)が、恐竜をサンディエゴに移送し、パークを再建する計画を進めていた。
これまでは、いろいろと文句は言いながらも、正直なところ、心の奥ではスピルバーグを信頼していた。それは、世評はどうあれ、自分にとっては、彼の映画が面白いものだったからにほかならない。
それ故、『ジュラシック・パーク』の続編を撮ると聞いた時も、「奴らは生きていた」というパターンは必定だとしても、そこそこは面白いものを作ってくれるはずだと思っていたのである。
ところが、見てみると、前作以上にSFXやCGの技術が向上し、恐竜たちの動きがより鮮やかになってはいるものの、中身の人間ドラマが薄過ぎる。いつものスピルバーグならこんなはずではないのに…、という描写があまりにも多い。
百歩譲って、この映画は特撮のすごさに驚くだけでいい、と思いたい気もするが、やはり緩々で心のないスピルバーグ映画は、見ていてとても空しくなる。できればこんな姿は見たくなかった。
SFXやCGが映画に革命をもたらしたことは間違いない。だが、それはあくまでも道具の一つに過ぎない。それなのに、肝心の中身をおろそかにして、道具の素晴らしさや便利さばかりを喜んでいる風潮がいつまで続くのだろうか。
【今の一言】と、20数年前の自分は、随分と憤っているが、今回はそれほどひどくはないのでは…と思えた。これは進化なのか、それとも退化なのか。
今回は、監督バッド・ベティカー、脚本バート・ケネディ、ランドルフ・スコット主演の『七人の無頼漢』(56)。1898年生まれのスコットは、この時58歳。相手役のゲイル・ラッセルと敵役のリー・マービンは、ともに32歳だった。
『七人の無頼漢』『ガンヒルの決斗』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f0ac8bef80ce5154e1369d092126d3e4