今回のお題はジョン・フォード監督『リバティ・バランスを射った男』(62)。
初めてこの映画を見たのは、中学生の頃(1975.11.6.木曜洋画劇場)。ジョン・ウェイン、ジェームズ・スチュワートというタイプの違う横綱同士の共演、ベラ・マイルズの美しさ、リー・マービン、ウッディ・ストロード、エドモンド・オブライエン、アンジー・ディバイン、ストロザー・マーティン、リー・バン・クリーフ、ジャネット・ノーランといった魅力的な脇役たち、そして「西部では伝説が真実になる」というラストのセリフ、どでかいステーキなどに感心しながらも、同時に、西部時代の黄昏を描いた悲しくて寂しい映画だなあと思ったものだった。
で、長年心に引っかかっていたことの一つが、ランス・ストッダート(ステュワート)は、妻となったハリー(マイルズ)に、果たして“真実”を話していたのかということだった。
今回、見直してみて、その謎が解けた。ランスが新聞記者に真実を告白する前に、ハリーの方を一べつすると、ハリーがわずかにうなづくシーンがあったからだ。つまり、彼らは秘密を共有しながら生きてきたということ。
もう一つは、ハリーは夫となったランスよりも、亡くなったトム・ドニファン(ウェイン)の方を愛していたのでは、ということだった。フォードは、ピーター・ボグダノビッチに「そのつもりで描いた」と語っているし、今回の男性メンバーも、自分も含めて皆そう思っていたのだが、妻ともう一人の女性メンバーは「夫の方を愛しているに違いない」と言っていた。このあたり、男女で受け取り方が違うのか、と思って興味深かった。
また、この映画は製作の開始が遅れ、フォードがやる気を失い、半ば投げやりに撮ったという側面があるらしい。それ故か、雑なところが目に付くのだが、それが逆に、見る者に想像の余地を与え、さまざまな解釈を生む結果になったともいえる。
で、ドニファンがハリーに言う「怒った時の君はきれいだ」というセリフを、今度夫婦げんかの時に使ってみるかなどと思ったが、逆に火に油を注ぐことになるかもしれないし、けんかの際にはそんな余裕はないか。
考えてみれば、ウェインの最後の映画『ラスト・シューティスト』(76)で彼を看取ったのはスチュワートだったんだよなあ。この映画とのつながりを思うと感慨深いものがある。
『リバティ・バランスを射った男』
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