「それが、明治政府が解放令を出すまで続くことになるんだけれど、差別は、人の意識の中には残り続けていて、第二次世界大戦後の日本国憲法後の民主化をもっても地位は改善されなかったんだ。その実態を「文明社会の悲惨」と、呼んだくらいにね。だから、差別を受けていた人々が団結して立ち上がり、差別行政糾弾闘争が起こって、60年くらい前に同和対策審議会設定法が出来て、その9年後に同和対策事業特別措置法が可決されて、ようやく民主化が始まったんだよ。それなのに、仏教のお寺の偉い人が、アメリカで、「日本には差別はない。」って言ったんだよ。そして、宗教者と呼ばれる人たちもこの発言に対して黙ってたって言うんだ。信じられないでしょ。それは、仏教界でも差別があったからなんだけれど、それがどういうものかというと、人が亡くなったら戒名って付くでしょ。それがね、の人達には、畜とか卑とか賎ていう文字を意図的につけて差別を図ってたんだ。これもね、江戸時代に出来た、諸宗次寺法度という法令がね、潘幕体制下で、院や僧侶、お寺の檀家を統制してゆくものであったから、幕府の意向が色濃く反映され、「」と呼ばれ、差別されていた人たちは、死んでも差別され続けることになったんだ。その制度がお寺では300年近くも維持されてきた。それは、釈迦の説いた四諦八正道とはかけ離れた思想であるのにもかかわらずだよ。でも、その実態にようやく光が当たることになって、40年前にようやく改善がなされるようになったんだ。」