天の邪鬼の最期の言葉
三十数年間何時ものように、自分の好き勝手に
言いたい放題、
やりたい放題に
奔放に生活しているようにしか見えなかった
毒親
姑の
最期の言葉
いつものように、自分の好きな時間
相手の都合など全くお構いなしに電話を掛けて来て、
いつもよりはかなり冷静に、
Г あんたの方がよっぽど良かった!!
私も色々意地悪したけど
ケビン(夫)の事を宜しく。」
何か狐につままれたようで、
その日にはケビンに、「オカアサンどうしちゃったんだろうね!?、
何時もと全然違って、調子がおかしかったよ。
病気にでもなったんじゃない。」と姑の異変を報告しました。
多分それまでの半狂気の世界から、平常の世界に戻った一瞬だったのだろうと思っています。
電話に出るなり、何か嫌な事があったのか、
私が何時ものように、次男の嫁として、大人の対応で
「どうかしましたか?」と慰めて優しく対応するのを期待しているのか、
「ギャー~」と大泣きしたり、
二回目の嫂さんと喧嘩したのか、登記謄本の入った風呂敷包みだけを抱えて、タクシーで東京から静岡県の我が家迄突然の訪問。
そのまま我が家に居直り滞在。
勿論我が家の都合等全くお構いなし!!
「親のいない子となんか結婚したくなかった。」とか
私が長男を妊娠中には、「へんな子が産まれたら、悪いのはみんなアンタのせい」
とか、
六月末に結婚式を挙げてひと月余の最初の嫂さんをГお返しする。」とか、息巻いて電話して来たと思ったら、
八月には本当に離婚。とか
「江戸時代末期に建てられた、私の実家のトイレを水洗トイレにするように。」
とか
二回目にやって来た芸大出らしい?嫂さんのことを、「ピアノを弾くしか能のない女」とか
罵詈雑言の山。
私が学んだ日本語と言う
言葉の中にはこんなにも汚くて、酷い言葉もあるのだと教えてくれた反面教師。
結婚式を挙げた後
明後日から仕事なので、途中の京都で途中下車して一泊。
京都観光も全くしないでそのまま島根県に戻りました。
その夜も
深夜ホテルの部屋迄わざわざ電話をして来て、延々と愚痴って辟易したのを覚えています。
かなり想像力の欠如した人でも、私たちの 悲惨な結婚生活が想像出来る事と思います。
強烈な反面教師のお陰様で、私も強い女になれました。