夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

天の邪鬼の最期の言葉

2018-05-02 23:10:09 | 日記・エッセイ・コラム

                           天の邪鬼の最期の言葉

三十数年間何時ものように、自分の好き勝手に

言いたい放題、

やりたい放題に

奔放に生活しているようにしか見えなかった

毒親

姑の

最期の言葉

 

いつものように、自分の好きな時間

相手の都合など全くお構いなしに電話を掛けて来て、

いつもよりはかなり冷静に、

  Г あんたの方がよっぽど良かった!!

 私も色々意地悪したけど

 ケビン(夫)の事を宜しく。」

 

何か狐につままれたようで、

その日にはケビンに、「オカアサンどうしちゃったんだろうね!?、

何時もと全然違って、調子がおかしかったよ。

病気にでもなったんじゃない。」と姑の異変を報告しました。

 

多分それまでの半狂気の世界から、平常の世界に戻った一瞬だったのだろうと思っています。

 

電話に出るなり、何か嫌な事があったのか、

私が何時ものように、次男の嫁として、大人の対応で

「どうかしましたか?」と慰めて優しく対応するのを期待しているのか、

「ギャー~」と大泣きしたり、

 二回目の嫂さんと喧嘩したのか、登記謄本の入った風呂敷包みだけを抱えて、タクシーで東京から静岡県の我が家迄突然の訪問。

そのまま我が家に居直り滞在。

   勿論我が家の都合等全くお構いなし!!

 

「親のいない子となんか結婚したくなかった。」とか

私が長男を妊娠中には、「へんな子が産まれたら、悪いのはみんなアンタのせい」

とか、

六月末に結婚式を挙げてひと月余の最初の嫂さんをГお返しする。」とか、息巻いて電話して来たと思ったら、

八月には本当に離婚。とか

「江戸時代末期に建てられた、私の実家のトイレを水洗トイレにするように。」

とか

二回目にやって来た芸大出らしい?嫂さんのことを、「ピアノを弾くしか能のない女」とか

罵詈雑言の山。

 

 私が学んだ日本語と言う

言葉の中にはこんなにも汚くて、酷い言葉もあるのだと教えてくれた反面教師。

 

結婚式を挙げた後

明後日から仕事なので、途中の京都で途中下車して一泊。

京都観光も全くしないでそのまま島根県に戻りました。

その夜も

深夜ホテルの部屋迄わざわざ電話をして来て、延々と愚痴って辟易したのを覚えています。

 

かなり想像力の欠如した人でも、私たちの 悲惨な結婚生活が想像出来る事と思います。

 強烈な反面教師のお陰様で、私も強い女になれました。