夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

67才の誕生日を自宅で迎えられたことに感謝!!

2020-03-13 19:35:04 | 日記・エッセイ・コラム

67才の誕生日を自宅で迎えられたことに感謝!!

2020年3月13日 (金)  自宅玄関先 にて撮影

今朝プランターの中で二輪咲いていました!!

   名前は、可愛らしい赤いミニチューリップ  (笑)    見た目そのまんまです♪

せめて、おやゆび姫 とか、 くきたん⇒茎が短いから、茎短。  ∴あかくきたんとか可愛らしい名前を付けてあげて下さいな!

  イヌフグリとかヘクソカズラみたいな可哀相な名前よりはマシですけれどもね……

                   オレンジ色のチューリップは、昨日もう一輪咲きました。

        

春らしい明るい、橙色の花です♪

  朱色や橙色は黒やグレー、茶色等ともすれば暗くながちな年配者の服装に、

差し色として小物を少し加えると装いがとても明るく、顔も活き活きとして見えますので、

スカーフやネックレス等に是非使って見て下さいね!

 

今日の富士山

2020年3月13日(金)

午前八時過ぎ自宅庭にて撮影

晴天ですけれども、空が霞んでいます。

 

 

昔ながらのチューリップ

 

花の下が長いので、開花する前には重みで倒れないように、支柱を立てています。

  昔、 鼻の下が長い男性のことをチューリップと言っていましたが、今でも使われているのでしょうか?

 

           また一つ年を重ねることが出来ました!!

  自宅で庭に咲く冬を越した春の花々を見ながら、67才の誕生日を迎えられたことに感謝しています!

高齢者とか、老婆、老女とか老齢。

お年寄り。年寄りは社会の害。

年を取るのは何か悪いことみたいな風潮の世の中になっていますが、

私は昔から年を重ねることに憧れを持っていました。

  私は13才で父親(享年46才)死因脳溢血。

37才で母親(享年67才)死因クモ膜下出血と両親を早く亡くしました。

父は即日。母は僅か18日間の闘病生活で呆気なく逝ってしまいましたので、父の死後

ずっと、毎年年齢を重ねることにとても憧れを持っていました。

父の亡くなった年齢を迎えた時には、様々な体調不良も出て来ていましたので、私も

47才にはなれないのかもと漠然とした、不安を抱えていました。

  親が短命だった人は、大なり小なり私と同じ様な漠然とした不安以上の、自分もまた

短命かもと言う根拠の無い確信を持つようですね…

矢張り、 大人になる前に、実際に親の遺体や遺骨を、眼にした時の衝撃や悲しみが忘れられないのだと思います。

 両親が共に健在で長寿の人たちが年老いた親に対して聞くに堪えない酷い口を聞いたり、

実際に粗末に扱っているのを見聞きすると、

『親の有り難さを知らないからだ』と憤慨するのは、

実際に親を無くし親の有り難さを知っている人々です。

 子を持って知る親の恩。

無くして初めて解る親の有り難さ。

私も、遂に母の逝った齢になりました。

故郷の町外れの火葬場の煙突から上がる父の遺体を焼く煙を見つめて泣いていた13才のやせっぽっちの少女は、七人も孫のいる白髪のお婆ちゃんになりました。

 年を重ねると言うことはやはり素晴らしいです。

 これまで色々お世話になった方々に心から感謝致します!!