当地の今朝の日の出は、午前6時33分。
禅堂への道は真っ暗。
坐の始まる6時もまだ、暗い。
老師の撞かれる「梵鐘と般若心経の読経」は、
禅堂にまで聞こえ、「さあ、始まるぞ」と聞こえる。
今朝のスタートも、ベートベンの「月光」のしらべ、
この場所で、こんなに落ち着く時間はうれしい。
老師のお話は、やはり「整息」。
坐禅の基本中の基本なのでしょう。
月光の曲に合わせて同じテンボで吐く息、吸う息を意識して。
普段、無意識の息をすることは、意外に難しいのです。
私達は、この地球の大きなリズムの中で生かされている。
腹圧を掛け鼻からしっかり吸い込む、そして腹圧を掛けたまま
静かに鼻から長く吐き出す。
之を意識することが大切。
「いっぱい吸いこんだら、吐き出さなければならない、そして又吸い込む」
吸う・吐くの変化のわずかの時間、之を自分が意識していますか、
否、知らない間にしている時間ででしょう。
意識すると「不思議」と思いませんか、
この時間は
、生きながら「死の時間」なのです。
この不思議な時間に、己・私はどこに居るのでしょう。
私はどこにも居ないのです。
この時間は、どこから誰が与えているのでしょう。
不思議ですね。
坐禅は、意識して死の時間を知るのかも知れません。
日常生活では、どうして息をしているのかなど
意識していられません。
坐禅は「そんな事を知る時間として、己の幸せを慶ぶ」
こうした薦めです、静に考えてください。
(いつの間にか、月光の調べも終わっている、そして、空が明るくガラス戸からの朝が明けている。
毎年この時期の坐禅会は、この朝明けの光の神秘がうれしい時間のですが、
老師の話で、すっかり気がつきませんでした)
12月8日、お釈迦様が悟りを開かれた日といわれています、
この時、はからずも口にされた言葉
「我と大地有情、同時成道」
(気がつけば、大自然の生きるものすべてがつながっており、みんな一緒だった、と解されている)
今、人間は地球から宇宙へむかって飛びたつ時代。
この地球の人間が、他の宇宙人に出会うとき、どのような品格・人格をもって出て行くのか、、
地球人間の品格を磨き上げる必要がある時期でしょう。
(まだ、続く)
開祖道元禅師様は、
「微息かすかに通じ、欠気一息して、ごつごつ(兀兀)として座る、
之が坐禅の要術なり」と教えられた。
吐く息、吸う息の間の
「無意識不思議な時間」を意識して集中してみてください。
いくつもの話しの有る時間となりました、
新しい人も参加されて、
和やかなひと時は、美味しい「朝粥」の振る舞いのおかげ。
今朝の本堂は、「報恩講」のしつらえ。