「伏見人形、面ばかり」
と言う面白い戯れ歌があります。
土人形の始まりである京都伏見の「伏見人形」は、
人形の裏は、下地の胡粉のままで、彩色はありません。
「人形は、持ち主に対して、決して裏を見せない」
言い伝えとか。
胴体は、空洞に成っています。
また、基本胴体は粘土製であり、一名、「泥人形」ともいわれています。
素焼きの上へ胡粉下地を塗り、その上に彩色されます。
今は、ワックスやニスが塗られたものを見かけますが
当時はどうであったか。
そこでこの構造に、お返しのざれ歌一句。
「土人形おなかすかせて、すまし顔」(いつもお腹の中は空っぽの意のつもり)
tarpin作、字あまりか??・・・・・。
と言う面白い戯れ歌があります。
土人形の始まりである京都伏見の「伏見人形」は、
人形の裏は、下地の胡粉のままで、彩色はありません。
「人形は、持ち主に対して、決して裏を見せない」
言い伝えとか。
胴体は、空洞に成っています。
また、基本胴体は粘土製であり、一名、「泥人形」ともいわれています。
素焼きの上へ胡粉下地を塗り、その上に彩色されます。
今は、ワックスやニスが塗られたものを見かけますが
当時はどうであったか。
そこでこの構造に、お返しのざれ歌一句。
「土人形おなかすかせて、すまし顔」(いつもお腹の中は空っぽの意のつもり)
tarpin作、字あまりか??・・・・・。
でも、実際、お人形は、顔の方しか見ないし、飾りません。背の方が白いまま、というのは、きっぱりとしていて、良いと思います。
お月様もそうでしたね。
なぜかの理由を記しておきましたが、
これは現代人の、どなたか評論家氏の
説ではありませんか。
その時代はあまり意味も無く、土人形は庶民の人形(御殿雛人形の代用品も)として、安価に作られていたのではないかと思います。最近の復古調のものは前後も彩色されているのが多いです、そして高いです。