
名勝・錦帯橋は第3代藩主吉川広嘉の人力により1673(延宝1)年に完成した。その讃歌が「岩国の昔話と歌謡」(発行1972年11月20日 発行所 岩国市立図書館)に載っていた。
次がその讃歌(原文のまま)。
時は延宝元年の 山は錦の秋なかば
白竜躍る川の面に 浮かび出でたる五つ反りの 虹の橋こそ奇しけれ奇しけれ
これぞ吉川十五世 誉れも高き広嘉公
洪水に悩める民草の 往来の道を思ひやり 工夫架けにし神の技神の業
橋の数こそ現し気世に 算へ尽くせぬ数あれど
斯くも奇しき橋とても 広き世界に唯一つ 錦の川の帯の橋帯の橋
秘めし敷石橋台の 造り構へは一しほに
万代までの底力 暴風も豪雨も荒灘も 莞爾と軽く受け流す受け流す
幾千万の人々の 往来を護り厳かに
春秋260年 小揺ぎもせで若やげる 姿なつかし頼母しや頼母しや
作られた時期は記載されていないが、春秋260年から推測すると今から70年から80年前になるのかも知れない。提供は地元の興風時報で(S11.10)とある。この地方紙についていつか触れてみたい。少し気になる個所があるが、錦帯橋を思う気持は伝わってくる。
写真は山陽新幹線「新岩国駅」に展示されている精緻に造られた錦帯橋の30分の1の模型。右下の長方形の白縁は鏡で、橋裏の緻密な木組みの構造を知ることが出来る。