先月の下旬に植えたキュウリの背丈は苗のときの3倍くらいになり、1センチから1.5センチくらいの実が4本生っている。育ち具合は順調にそうだ。このまま育つと我が家の2人では食べきれないかもしれない、そんな胸算用をする。
そんな目処のつかない考えや思いを昔のことわざでは「捕らぬ狸の皮算用」という。似たような言い回しに「穴の狢を値段する」「飛ぶ鳥の献立」「儲けぬ前の胸算用」などがあり、不確実なことを当てにした思いや計画をすることを戒めている。英語では「孵らぬうちにひよこを数えるな」というそうで、洋の東西を問わず人への戒めは同じようだ。
諺(ことわざ)は「昔からの民衆に伝わる戒めの言葉」で、意味深く味わい深い内容を含んでいると思う。こうした内容は科学万能、情報化社会と言われる今にも通じる。多くの情報に接しそれを活用した日々を過ごすうちに、自分の何かを失いそうになる。そうした自分を護れるのは、持っている常識や知識であり、諺もそのひとつになると日ごろからそう思っている。
それでも初夏の風に緑濃い葉を揺らせるキュウリ、その付け根に育つ赤子のキュウリを見ると「もしかしたら」という欲の気持が起きるのは凡夫なるがゆえと開き直る。キュウリはそんな欲心を知ってか知らずか、夕方見たら朝より延びたと思わせるくらい、育っている。やっぱり期待する。