プロでない方のいい文章、いい絵画、いい写真などを読んだり観たりすると「癒される」「気持が和む」「ほっとする」などと思う。そう思いながら「どうしてこんなに上手く創作できるのか」「どうして自分にはそれが備わっていないのか」、省みることなく勝手に腹立たしい気持が起きる事もある。
こうしたとき「下手があるので上手が知れる」ということわざがある。これは「下手な者がいるからこそ、上手な者が目立つ」という下手な者が自己弁護するのに用いられる。同じような諺に「馬鹿があって利口が引き立つ」ともいう。
それじゃあしっかり作って・創って世に問えば「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」かもしれない。それはまぐれ当たりでしかない。しかしその万に一つの当たりを生み出した努力を根気よく続けていれば、やがて成功が訪れるかもしれない、そうも解釈できる諺のように考える。これも自己弁護、自己納得へのいい訳だろうか。
古希を過ぎ毎日が休日の歳とはいえ、名案が少しも浮かばないのに時間だけかけて考えるのは時間の無駄である。そう、生産性のない時間を過ごすのは「下手の思案は休むに同じ」とか「下手の考え休みに似たり」という。こんなことを書いているようでは「ばかばかしくて話にならない」と「臍で茶をわかす」ほど笑われる方も多かろう。古希奮闘ではないが「今に見ていろ」の精神で生き生きと作って創って生きたい。
やる気を駆り立ててくれた数十点のパステル画展。知人の作品は優しいタッチの風景が描かれていた。風貌と比べその違いに虚をつかれたが、作品には作者の思想心底が現れるという。作者と作品を結びつけて観ると作品への思いがまた膨らむ。