猛暑日が1週間も10日も連続する地域、日本一の暑さが何日目などマスコミの報道も尋常ではない。そんな暑さの続くある日、暑い暑いと思いながら歩いていると「藤の花」がひと房咲いている。藤棚は1辺3メートルくらい高さが2メートル半くらいの規模、小さな公園の片隅で毎年楽しませてくれる。今年の春にも房は小さいが幾つも見た。
藤の花は春に咲くというその先入観が、これは暑さのせいで間違って咲いた、特ダネかと思いながら調べてみると「夏になると新しい枝先からまた少し花が咲くことがある」と載っている。撮った1枚を眺めると確かに新しい枝に咲いている。「少し花が咲くことがある」という表現から、珍しいことに違いない、と都合よく解釈し満足するのは単細胞人間らしいと納得する。
茂った葉が藤棚を覆っているが、その下に空豆を平たくしたような細長いものが数多くぶら下がっている。次に咲くときの役割を担っているのかと思っていたが、これも間違いらしい。これは藤の実で、花を摘み取る時の忘れもので、実が多くなると木が弱り花は咲かなくなったりするという。花はしっかり切り取れとある。伸びた枝切りは見るが実はどうだったろう。
何十年も前になる。勤務している石化会社のコーポレート・アイデンティティ(略称はCI)委員会の一員になったときの話。映像委託先のカメラマンと初回の打ち合わせのとき、石化について、原油から石化製品までにつて企業案内をはるかに超えた知識があり、打ち合わせがスムーズに進んだ。その知識に驚くとカメラマンは「仕事ですから勉強しました」とさらりと言ってのけた。花が綺麗、それだけでシャッターを押すのでなく、少しはその花と会話できる知識があればよりいい写真になるかも、と改めて思う。