日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

扇子一つで槍の中

2015年08月20日 | しっちょる岩国


 吉川藩時代から続く岩国の民俗芸能「こぬか踊」、路地の盆踊りとして親しまれてきたが、50数年まえから路地踊りが途絶え、保存会の力で受け継がれてきた。これではいけないと応援隊が昨秋結成され、盆の15日、日暮れから路地踊りが復活した。踊りは太鼓と笛の音に合わせて甚句調の音頭が歌われる。

 音頭は「神か仏か岩国さまは扇子一つで槍の中」から始まる。この「神か仏かといわれる人は誰だろう」という疑問を抱いていた。あるローカル紙の随筆欄に、幕末に岩国を治めていた領主「岩国藩第12代 吉川経幹(つねまさ)」その人を指すと載っていた。なぜそういわれるのだろう。岩国検定テキスト「いわくに通になろう」からもそのあたりの背景が浮かんでくる。

 長州藩は禁門の変によって朝敵となった。幕府や広島・薩摩両藩の間に立って交渉を行い、第1次長州征伐を無血で終わらせたのが吉川経幹。槍や刀などを伴わない行動を高く評価した広島の人が歌ったといわれる。その後高杉晋作の挙兵などから四境戦争(第2次長州征伐)が起きる。経幹は芸州口・小瀬川で幕府軍と戦いこれを撃破、戦勝に貢献した。四境戦争の勝利は、第1次で戦争しなかったことも大きな要因と考えられる。

 昭和23(1948)年8月24日に撮影された「こぬか踊」の写真(掲載)に出合った。写真のタイトルは「神か仏か岩国さまは扇子一つで槍の中 こぬか踊り」、撮影場所は「錦帯劇場前広場」とある。劇場は40数年前にスーパーになり今年3月に閉店、今は更地になっている。写真の当時は錦帯橋バスセンターから岩国小学校への広い道路は無く、椎尾八幡宮の石段の向きも違うなど、朧げに思い出す。250年近く前の出来事から岩国空港まで音頭は時世を折り込んでいる。郷土を語り伝える文化のひとつだろう。
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