
カタカナ語と言えば外来語というのは正確でなくなった。近ごろは日本的な言い方もカタカナに変えて表記したり、意味不明のカタカナ語も蔓延している。どこかの首長はカタカナ語(英語)を多用していると指摘する人もある。首長だけでなく報道の世界でもカタカナ語が多い。グローバル化の表れと喜ばれるが、その意味が理解されているか否かが問題と思う。
本箱の整理中に辞書類の間に変色した新聞の切り抜きが2枚挟まれていた。切り抜いた記憶はないが何かの思いがあったのだろう。鉛筆書きの日付は15年と16年前の2枚、どちらも国立国語研究所(当時)の「外来語の言い換え提案」。外来語が翻訳や説明もなく多用されることに警鐘を鳴らした、と受け取れる記事になっている。数多くの「外来語・言い換え語・意味」が一覧となっている。
一覧の中にも、当時は認知度が低いとされたが今の理解度は別にして普通に使用されるようになった外来語もあり年月を感じる。アナリスト、コミット、スキーム、タイムラグ、リーフレットなど。また、定着度は高いが言い換えを促すものでリストに載っている「バリアフリー(障壁なし)、ライフサイクル(生涯過程)、ライフライン(生活線)、デイサービス(日帰り介護)」、ほかにも命や生命に関連する外来語もある。
こうした言い換えの指摘に対し、今の高齢者は進んでいるから言い換えは必要ないという落語家。一方で、若者にも分かったふりをしているだけの人も多いというのは大学教授。明治以降に外来文化や思想の意味を理解できたのは努力して翻訳したからという考えには頷ける。あいまいな理解をさせないため注記や翻訳を教えてほしい。特に報道関係者には願いたい。