
秋も深まる早朝、銀杏の実を長い竿やブーメラン状の道具で叩き落とし収穫する人もある。銀杏が収穫から口に入るまでの手数、臭い消しを含めて幾通りもの手の掛かる工程を得てからになることはあまり知られていない。一粒に換算すると結構な値段になるが、それだけの値打ちがある。
銀杏は晩秋の季語「木の実」に含まれる一つとして載っている。今ころは銀杏のほかにどんぐり、椎の実、栃の実、胡桃など行近ある。出会ったことはないが、木の実が雨のように落ちてくると「木の実雨、木の実時雨」などというそうだ。柿やリンゴの様に水気の多い果実は木の実に含まないという。木の実と称するのは雑木の硬実を指すそうだ。こうした実が少ないのか農獣が人里を荒らす。
投稿することを楽しみの一つにしている。そんなことから掲載された人様の投稿も、大人子どもを問わず読む。子どもが詠んだ秋の様子、混ざりの無い表現に感心する。「この秋は カメムシ多くて 困るなあ(小学4年)」「日が昇り 紅色に染まる 山多き(小学4年)」「ゆらゆらと ダンスパーティー ススキたち(小学4年)」「海光る 見上げた夜空に お月さま(小学5年)」。
今と違い小学生のころ、周りに塾や習い事にいく子どもはいなかったので、下校したら屋外で遊ぶことが当たり前だった。山や畑、小川、広場など不自由しなかった。山桃のなる大きな木、野イチゴが採れる山の斜面など楽しんだ思い出は残っているが、どんぐりなど木の実を使って遊んだり、それを使っつくったりといった思い出が浮かばない。秋の山で遊ぶときはハミに咬まれないよう気を付けていたことは良く覚えている。