子供のころ、家のそばにある菜園の畔に栗の木が1本あった。ものごころついたころから記憶はあるが、由来は祖父からも聞いておらず歴史は知らない。栗の季節になると栗拾いをした。拾うというか、イガの中から栗の実(笑い栗)を取り出す。イガの開いた部分を上にして長靴を履いた両足で押し開くようにして栗を取り出す。祖父は笑いながら見ていた。
今年は猛暑・酷暑と雨が少なく実りが良くないと聞いていた。報道では名前の知られた栗の産地で不作となり、観光農園は開かれず、出荷を見送ったという。ところが、いつも知人から貰っているが今年はダメかな、そんな思いをしていたら「栗を拾ったから」と届いた。日を置かずに2度めも届いた。知人の家は不作ではなかったようだ。
「栗の皮むきは根気がいる。取りかかるときはそれなりの心積もりで始める。そうでないと続かない」、祖母はそんなことを、皮むきを眺めている孫らに言い聞かせてくれていた。いま、皮むきをしているが、祖母の剥いたように栗の表面が滑らかにならず、大方が少々角ばっているが、何年もやっているが進歩しないようだ。
我が家では最初に栗ご飯、渋皮煮、茹で栗などが主な姿。冷凍すれば3カ月くらい保存できるそうだが、我が家は、旬の物は旬に、と栗の木の無いご近所におすそ分けしている。今年もお裾分けして喜ばれた。ホクホクする栗はこの時期だけ、松茸は届かないが秋の味覚の栗は堪能している。
(今日の575) 笑い栗外に飛び出しコロコロと