山あいの抜け道を通りかかった。道辺の雑草は伸び放題でその生命を謳歌している様に見える。いつか刈り取られるのだろうが、熱中症予防対策が無くても勢いがある。むしろ雑草の熱気のようなものさえ伝わって来る。雑草という名の草はないというが、道辺の光景は雑草がピッタリと思う。
ポイ捨てのゴミが見当たらない、いいことだと思い始めた時、思いは打ち消された。飲み捨てられた缶が1個、暑そうにしていた。農獣の出没域ではあるが、彼らは捨てないから、通りがかりの人となる。雑草の中でなく、目に付くところにポイと捨てて行ったのだろう。社会的常識のかけらもないと言える。
拾って、近くにある清涼飲料自販機備え付けの空き缶入れにメーカーは異なるが入れさせてもらった。海水浴シーズン前には海浜の清掃奉仕が報道される。流れ着いたゴミの多さに驚くが、生活用品だけでなく産業廃棄物も映し出される。
清掃と言えば思い出す。小学生の時には夏休みの期間は毎週1回、子供会で地域内の道の掃き掃除をしていた。舗装はなくたまには馬糞の落ちた道を各家から持ち寄った竹ぼうきで履いていた。6年生がリーダだった。その6年になったとき、誰か・どこからか分からないが、掃き掃除することにクレームがでて長く続いていたが中止になった。その時の子供会担当の教師がすまんと言ったのを覚えている。
(今日の575) ポイ捨ては地球汚すを常識に