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「昔の人たちは、供華(くげ)として捧げた芒に月の神が降りてくると信じていたのである」という短い短い一文を目にした。芒は月を招く「よりしろ」であったというから頷ける。仲秋の名月に芒を供える風習もこんなところからきているのだろうか、と勝手に思ってみる。
陽を受けた芒の白い帆が風に揺れている。同じ方向に向いて風まかせになびいている。よくなびくことの例えに「秋風にすすきの穂」といい表すそうだ。白い柔らかな帯がなびいているようにも見える。
真夏の青い葉だけの芒は勢いを感じさせてくれる。秋風になびく芒の穂は風情があっていい。枯れ芒は歌にもあるように人の哀愁を感じさせる。やがて冬枯れして土へ還っていく。なにか人の一生を映しているように思える。
春の七草は食を楽しむもの、秋の七草は見ることを楽しむもの、という違いがある。見るといっても華やかさを感じさせるものはない。どうしてこれらが選択されたのだろう。昔の人の控えめな性格かそうさせたのだろう、と思いたい。
(写真:秋風にすすきの穂)
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