狭庭にある細長い花畑と呼ぶにはおこがましいが、季節ごとのあれこれを植えたり、こぼれ種から芽が出たり、野鳥の置き土産から発芽したりと、統一性のない花がところどころに咲く。車で通りがかりに見える立派な花壇に妻は「素敵」とつぶやくが、我が家では真似は出来ない光景に見える。
寒さが増すと一段と寂しくなる我が家だが、この時期に一段と勢い増す葉はリコリス。今年は暑さのせいか例年に比べて咲き具合が良くなかったものの、彼岸のころまで楽しませてくれた。9月の中旬ごろに花が終わり、茎が朽ちる。しばらくすると来秋に咲く花のために葉が育ち始める。
その葉が今は花畑でここに我あり、と言わんばかりに勢いを増している。春になるとこの葉は姿を消す。これがリコリスの葉の宿命。今は、養分を球根に送り球根はその養分を蓄えているとき。蓄えた養分は彼岸のころになると花となって姿を現す。母のような働きの葉は花を見ることはない。花も葉を見ることはかなわない。だから相思花というらしい。
夏の陽ざしの幾分の一かのそれで蓄えた養分で大きな見事な花を咲かせる。真っすぐに伸びた一本の茎に花、茎に大きな負担を負わせる感じの花、彼岸花によく似たそれは我が家の住人のようになった。この勢いなら次の花に期待できる。
(今日の575) 瓜二つ彼岸の花とリコリスは
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