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広島・長崎の原爆の日に続いてこの夏3度目の黙祷をした。
64年前の終戦前日、1945年8月14日のお昼前、米軍はB29爆撃機100余機をもって岩国駅周辺を爆撃した。その密度は他に例を見ないほど激しいものであたっと聞かされている。
空から見た駅周辺の爆弾穴は蜂の巣のように写されている。1960年代の初めになってもその爆弾穴は残っていた。記録によると直径は5~30㍍、深さは5~10㍍もあったという。記録では571名の死者となっているが、遺体処理に当たった当時の市職員は1,000名をくだらないと証言されている。
岩国市の最初の空襲40年3月19日の藤生沖合いの船舶に対するそれだった。4月、5月、7月、8月に各2回合計9回の空襲に見舞われ、公式記録でも1,000名以上の方が尊い命を失われた。
中でも陸軍燃料廠や海軍航空隊周辺の空襲は語り継がれている。陸燃では学徒動員を含む300余名の方が亡くなられた。海軍航空隊のそれでは滑走路は爆撃されなかったという。戦勝後の利用を考えてのことという。
黙祷しながら、新たなこの日が加わらないことを願った。
(写真:空襲3年前の前の岩国駅周辺の地図、あき書房復刻地図より)
かなり覚えている部分がありますよ。
岩国駅周辺,今津、室の木、新港、人絹町等々
おまけですが
爆撃翌日母と一緒に駅周辺へ行きました。
目的は定かではありませんが、多分知人の消息を案じてのことと推察します。
道路わきへゴザが沢山あったのを覚えています。
ゼヒご覧下さい。連絡します。
今度本物を見せてくださいね。
都合のいいとき見に来てください。