「今、うちの犬が鳴いた、あんたは犬が嫌いでしょう」、2度目に訪れたある治療院でいきなり言われた。確かに姿は見えないが犬の鳴き声は聞いた、それが治療院の飼い犬かまでは知らない。わが家でも飼っていたことがあり、普通に接しているつもりでいた。いかにも、どう猛性を感じれば避けて通るかもしれないが、それほどの覚えはない。
犬も猫も、かわいがる人とそうでない人は区分けできる、と愛犬家や愛猫家の人からは聞くしそれに近いことは目にしている。その眼力には恐れ入るが、特別な感情を抱いていないのに区分けされるとは徳の無い人間だと我が身反省したこともある。だが、毎日接するわけでもないし、まあいいか、くらいに思っている。
奥行きの長い雑草除けに敷かれたシートに、同じような色と格好の猫が同じ姿勢で3匹寝そべっている。これは面白い、とカメラを向けた。すると手前の1匹が頭を上げじっと見る。願わくば寝そべって欲しいと思いながらシャッターを押した。頭をもたげたのが合図かのようにほかの2匹はシートの奥に移動しこちらを見ている。
外観は気の毒だが野良一家の親子だろうと思う。頭をもたげた猫はそのままの姿勢でじっと私を見ている。それは2匹を守る姿勢に見える。飼われている以上に守ることへの執着は強い。いつか見た道路の左右の安全を確認してから子猫を横断させた親猫を思い出す。すっかり様子の変わった被写体を残念に思いながらカメラを収め野良一家の安全を願った。