日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

八朔ジャム

2019年02月18日 | 生活・ニュース

 毎年いただく八朔、それは甘酸っぱく風味のいい柑橘類くらいの知識、いや知識ではない食した感想しかない。ちょっとクリックするといろいろ載っている。八朔は日本原産のミカン科で柑橘類のひとつとある。柑橘類の多くは原産地が東南アジアで、数十種類の野生種が知られているという中で日本原産は嬉しい。その歴史は遠く村上水軍の時代にさかのぼるというから、瀬戸内が原産地だろうか。

 我家ではジャムと呼んでいるが、果皮と果肉両方を使っているので正確にはマーマレードと呼ぶのかもしれない。丁寧に流水で果皮を洗った後に果皮をむく。その内側の白い綿や筋を除く、これは結構やっかいな作業だが味の決め手にもなる、とレシピには載っているらしい。わが家では果肉が取り出しやすい程度に除いているが結構な量を棄てる。

 八朔を辞書で引くと、「旧暦8月朔日(ついたち)のことと。この日、贈答して祝う風習ある」が先で次がみかんの一種となっている。季語では八朔柑は春とある。いまごろが収穫期の終わりと聞いていうが、寒さ残るこの時期、あの甘酸っぱさを句の中にどう折り込むのだろう、指折ってみるが浮かばない。

 「朝ご飯を食べましたか」「いや、パンでした」という国会の珍答弁が話題になったが、わが家は完全リタイヤしてからはパンに変わった。パンにはバターなどつけないで食べるのが私流の食べ方。その方がパンそのものの味がして美味いと感じている。ただ、自家製のジャムについては薄くつけて食べている。今冬2回目の八朔ジャム作りをした、しばらくは甘ずっぱさを楽しもう。
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5500匹の蟻

2019年02月17日 | 生活・ニュース

 知人からの情報で1枚の絵を観にいった。1枚といいながらもその絵は横560㌢、縦115㌢、A3用紙53枚に描かれたものをつなぎ合わせた鉛筆画、タイトルは「アリの戦争~アーリーをさがせ~」で未完。蜂やアブ、ダンゴ虫などの外敵と武器を持って戦いながら、巣での生活が描いてある。作者の架空の世界が緻密に描かれており驚いた。

 描かれた蟻の姿は様々。外敵と戦う、その負傷蟻の救護、巣作りや破損個所の修理、食料調達を担うなど、それぞれの蟻たちが約5500匹描かれているとある。その中に特徴のある蟻「アーリー」をちりばめ、その蟻を探して遊ぶ工夫がされているというが、老いた目では発見できなかった。登場する蟻は写真右の様に役目ごとに設定されていて、表情は異なる。

 作者は16才の高校1年で脳腫瘍となり19才で亡くなったD君。展示の作品は中学1年の頃から時間を見つけては鉛筆を走らせたという。製作ノートには物語の展開に合わせ必要となる登場蟻、生活用具から巣作り用の重機、外敵戦に必要な武器などが載っており、精密な作成計画に基づく作品であることに感心し驚いた。

 両親の説明文には、発病後にも若干の蟻を描いたとある。庭で蟻の行列は見るが絵のような発想にはならない。蟻は働く生き物の代表のひとつであるが真似ようと思ったことはない。蟻に対してそんな見方しかしていなかったが、蟻にまつわる格言がいくつもある。その一例「蟻の穴から堤も崩れる。蟻の甘きにつくが如し」。今日は「蟻の思いも天に届く(力の弱い者も一心不乱に願えば望みを達せられる)」をいただいておく。冬の間穴にこもっていた蟻が、春に地上に出てくる、これを「蟻穴を出る」という。もうすぐその季節、待ち遠しい。
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国税の還付

2019年02月16日 | 生活・ニュース

 写真は詐欺や振り込み、医療費還付とか告訴通知など騙すものではなく正規の郵便はがきとして届いたものです。差出は所轄の税務署長ですが、「国税資金支払命令官」といういかつい肩書が印刷されている。毎年、還付通知は目隠しのシールで覆われている。

 確定申告書は先月30日の午後に、ネットでなく印刷し税務署に持参した。還付額は計算通りの金額が振り込まれる。3連休などもあったが早い還付だった。申告は来週18日からとなっているが早めの申告も丁寧に受理される。近所の人の話しでは窓口は混雑している様子とか。

 現役時代には12月の末までには受け取っていた。年末は給与に賞与、続いて年末調整という3度の嬉しい日があった。年調は利子のつかない納め過ぎの税の戻しでもウキウキだった。1度、母の死など扶養家族の変動で追徴を経験したが、後払いは得、と慰められた。

 高校を出て働き始めて60年、給与所得だと1度たりとも抜けることのない徴税制度は実に良くできている。納税は義務だと習い毎月の給与から徴収された。納める面倒がなく間違いもない。願うことは、正しく国民優先目線で税金は使って欲しい。今年は選挙の年、正しく税を使う候補を応援する。
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入選作の選考

2019年02月15日 | エッセイサロン

 せんこう、今日のテーマに当てはめると「詮衡と選考」の二つがある。前者の詮は分銅、衡ははかりさお、よってはかり調べること。後者は人物や才能などを詳しく調べ考えること」の違いがある。今日は後者について楽しく学んだことを記録しておく。何を選考したかといえば、毎日新聞県内版に1月中に掲載された「はがき随筆」54編からベストテンを選ぶ。

 本来は新聞社指定の3人の選者が入選3編、佳作7編を選ぶ、今月は紙面の都合で発表がなく「ならば我らの会で選んでみよう」、同好会代表の発案で、選考資料が急遽作られ、いつもの例会とは一味違う合評会になった。購読していないので、月間の全掲載作品を目にするのは初めて、作者の高齢化律率の高さに驚く。
 
 全編を輪読し、自己採点で10編を選ぶ。1作品2分余りの短い時間で選ぶことになる。題名と内容の一致度、読みやすさと聞きやすさ、表現の良し悪し、読後のイメージ、文体の好き嫌いなど、例会で学ぶことを思い返しながら直感で選ぶ。私は13編を良しとして選び、そのうちから3編を外し、私のベストテンとした。全員、真剣に取り組んだ。

 集計の結果、1位は同数で2編、3位1編、4位2編、6位1編、7位3編、10位3編で合計12編が選ばれた。本選なら合議で10位は1編だろうが合議はしなかった。私は10編中7編が7位までに入り、3編は落ちた。本選の評と例会での評が一致しないこと事は多々ある。1月度掲載作品について会の評と本選の評がどう違うか楽しみだ。しかし、選者の苦労を少し感じた3時間だった。
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かすていら

2019年02月14日 | 町かど

 岩国は藩の発展に伴い城下町が整備されていった。中心は錦帯橋正面の大名小路、城下の大手通りとして中級武士の屋敷の並ぶ侍町であった。その西側に岩国七町と呼ばれる町人が居住する町が作られた。七町は「玖珂町、柳井町、米屋町、塩町、材木町、魚町、豆腐町」の七つの町でなっていた(岩国検定テキスト参照)。

 この七町は昭和40年代半ばまでは商店街として大変な賑わいだった。郊外型店舗の増加や車社会の到来など、城下町風の商店街では変化に追いつけず、次第にさびれ人通りも激減した。そんな通りの或る横町に書店2軒、肉、菓子、帽子、家具、傘、薬、衣料などが軒を連ねていた時代がある。今は2軒だけになった。そんな一軒の「かすていら」の看板は小学校通学で見たままが残っている。

 それは1931(昭和6)年操業の老舗「風月堂」。風月堂の「錦帯橋かすていら」は超有名な一品で、贈答や見舞の品として何度も利用してきたし頂きもしている。初代が考案されたという最中の「毛利公」」は天皇陛下献上菓子と知られている。ある取材記事によると菓子作りへの挑戦に留まる事はないという。

 カステラは室町末期にポルトガル人によって伝えられた南蛮菓子、これを元に日本で独自に発展した和菓子という。風月堂のそれは、きめ細かいがふわっとした黄身色の生地、しっとりとした食感と和風の美味さは優れた一品で「かすていら」の標記にふさわしい。いつかご賞味ください。
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キンカンの頃

2019年02月13日 | 生活・ニュース

 そういえばもう何年も、いや二桁になるほど長い間口にしたことのない金柑、キンカンと表すほうがなじみやすいかもしれないが散歩する裏通りに幾本も見かける。暑いころに咲いていた小さな白い花が黄金色の小さな果実になっている。ミカン科の一種で、子どもころ遊びの途中で「おばさんもらうで」と断ってから生のまま食べていた。

 キンカンを撮っていると「採っても食べてがおらん」と庭掃除中の同年配くらいの女性。「子どもがいるころにはいろいろ工夫して食べさせていたのですが」と続く。そういえば見かけるキンカンの木から収穫された様子は見えない。「自然に朽ちて落下し土に還るのだろうか。何かもったいない感じがする。

 金柑と書いてこれに頭をつけた3字は「きんかんあたま」とも「きんかあたま」という。その意味は「毛髪がなくなり金柑のように赤く光った頭」、ズバリ言えば禿げ頭を表す。子どものころには平気で使い騒いでいたが怒られた記憶は無い。しかし、我が身がそれに近くなり意識もすると「いじめ言葉のひとつ」ではと思う。先の人どうぞ持ち帰りをと言われたが断った遠因はそこらかも。

 キンカンは金のミカンという。とすれば価格も相当なものと思いネットで見ると1㌔が千円から3千円とかなり開きがある。味や姿かたちで違うのだろう。この価格はミカンに比べるとかなり高めになる。今年のミカンの価格、ミカンどころ大島のミカン畑を手伝う知人の話しでは「あまりよくない」という評価、注文品はどんな品が届くかだろうか。
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猫の日向ぼっこ

2019年02月12日 | 生活・ニュース

 長年、散歩でその家の傍は通る。そこには高齢のご夫婦がお住いで離れの茶室と四季の花が咲く庭がある。散歩では出合うとすれ違いの挨拶をする。花の手入れをされていると道から声をかけるが長話をしたことは無い。息子一家なのか大型の車がよく止まっている。そんなお宅に、ネコが最近新しく住まいする様になったらしい。

 黒猫と呼ぶにふさわしい外見をしている。見かけた当初は私と目が合うと何となく身構えるようにしていたが、何度かそうするうちに無害の人間と分かってくれたらしく、足を投げ出しひだまりに寝そべったままでいる。

 今のところへ20数年前引っ越して来てから数年間、猫の糞害に悩まされた。。当時、家の近くに野良猫用の餌を置く人がいた。その姿を見たことがないが、早朝に置いていた。そんな餌を求め何処からともなくやって来る猫、夜な夜な徘徊する。歩き回るだけならいいが、きついに臭いの土産があちこち、ということで猫嫌いになった。

 犬は犬嫌いの人間が分ると愛犬家に聞いたが猫はどうなのだろう。黒猫が住まいの庭に止まっている車のボンネットで、昼下がりの陽ざしを浴びて寝ている。撮ってやろうとカメラを向けたらヒョイと起き上がり顔を向けた。撮ってと言わんばかりの姿勢に、苦笑しながらシャッターを押した。もしかしたら猫嫌いの私を懐柔しようとしているのではなかろうかと思いながら散歩を続ける。
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一写入魂

2019年02月11日 | 生活・ニュース

 TV番組の出場者、映像では私より年配に感じた人の趣味は「写真を撮ること」、司会者に問われて答えた。すると予定稿どおり数枚の風景写真が紹介された。自慢の作品が映像で流されることは嬉しいと思う。その人は写歴20数年、撮るモットーは「一写入魂」という話し方に真摯な人柄を感じながら、自分のカメラを持って60年、経験年数は負けていないと思いながらいろいろなことを思った。

 自カメラを持ったのは社会人になってすぐ、当時の表し方では月賦で買った。白黒フィルム時代、DPEは写真店まかせでそのお代はわずかな小遣いからひねり出していた。ということで1枚撮るにも絞りにシャッター速度、構図などそれは丁寧に考え撮っていた。まさに「一写入魂」だっと思い出す。カメラは進歩しデジタル化しピントも絞りも自動になると撮り方が雑になった、ときおり反省する。

 今月の市報の表紙(右側)を見てにやりとした。昨年、散歩の途中、錦帯橋上で小雨になった。手のひらサイズのデジカメはいつもの様に持っており、欄干につく雨跡が面白く撮ろうとしているとき、橋の弧の頂上で連れらしき傘をさす女性を撮る男性が目に入った。橋上に誰もいない、ほかの人の姿ない、思わずシャッターを押した(左側)。市報は「一写入魂」、私は「速写無魂」、でも何となく似ている、と一人悦に入っている。

 一写入魂は造語の一球入魂から来たと思うがこの4文字、魂を込めほかに気持ちを向けずことに当たるという一意専心にも似ている。4文字は趣味でも仕事でも何にでも通ずる心の持ち方だろう。最近の仕事場での不適切動画の投稿とその拡散事件、仕事には精魂を込めろと言いた。
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うどん店閉まる

2019年02月10日 | 自然 季節

 錦帯橋から半月庵の前を通り大明小路を新町へ向かって300㍍ほど下る。すると、椎尾八幡宮から臥龍橋に至る、通称臥龍橋通りと呼ぶ広い通りに出る。臥龍橋通りは1954(昭和39)年に拡幅された。それまではオート三輪車が通れば雨の日などは軒下に避けるほどの狭い通りだった。防火という観点から必要だったのだろう。そう、東京オリンピックの直前に開通したことを記憶している。

 その臥龍橋通りと交わる角に黄土色の生地に白抜きの文字で「うどん」という看板の店があった。地域の行事に参加し昼食に何度かうどんを食べたことがある。その時は親父さん一人が賄っていたと思う。報道では錦帯橋資料館建設用地として市が売買契約を結んだという。

 このうどん店がいつから開業されたか分からないが、古い地図を見ると食べ物店の記録がある。錦帯橋資料館は近くの住民の賛否が割れているほか、基本計画にいくつもの問題が積み重なり計画は撤回されたが、建設計画は続いている。スーパー撤退の跡地に建設予定だが、地域は買い物難民と言われるほど不便している。観光客への錦帯橋PRも必要だろうが、まず住民の不便解消が先だと思う。

 城下町と言われた界隈も街並みはその姿を徐々に変わっている。知人も祖父母と暮らした家を建て替えた。車社会、子どもの成長に合った生活の利便など考えると旧家では難しい、昔の名残を壊すのは忍びないが今が大事と話してくれた。庶民風のうどん店が閉まり解体準備だろうシートで覆われた。また一軒、城下町から店が消えてやるせない。
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命の水

2019年02月09日 | 地域

 工場が生産を続けるに必要な3つの要素を習ったと記憶するが、3つ定かには思い出せないが「水、製品の輸送、働く人?」ではなかったか、?は自信がない。3大要素を学んだのは60数年も前のこと、科学は進歩し物づくりの世界は一変している。それでも要素のひとつ「水」は欠かせない。技術の進歩で企業の使用量は減少したが水利権は確保したままという。

 市内には歴史ある工場がいくつもあり、古くは繊維と製紙、製油に石化など瀬戸内工業地帯の一角を占めている。それらの工場を含む多くの企業へ工業用水を供給する河川は錦川であり県境を流れる小瀬川である。また、河川から遠く離れた市内南部の通津工業団地へは、錦川の伏流水を取水し、愛宕橋袂のポンプ場から工業用水として延々と送られている。

 大企業は単独の取水設備を錦川沿いに備え取水し、送水管で工場まで送っている。こちらも川面からの取水の様子は見えないから伏流水と思うが、その水量はどれほどだろうか。定年まで勤めた工場は、小瀬川の伏流水を取水しポンプで工場に送っていた。

 錦川は市内北部、中国山脈の麓を源とし100㌔あまり流れて瀬戸内海に注ぐ。途中の農林はもとより河川漁業に寄与しながら流れ、人を始めとする生きものの命を預かって来た。古老に聞いた話では「錦川の水が枯れることがあれば日本の飲み水は無くなる」というくらい水量豊かな川という。そんなことを散歩の途中、子どものころ、傍で遊んていたある企業のポンプ場を穏やかな川面の向こうに見ながら思い出していた。川遊びしたころに比べ水量は減っている。
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