最終日の最後に、
講師のピーターと、レーネが話してくれたことを書いておこうと思う。
3日間を通して感じたことで、
どの作品にも、もう少しユーモアがほしいと思った、とのこと。
確かにこれは大事だ。
現在の日本の児童青少年演劇では、
その場しのぎ的というか、
一般的に「子どもにこびる」というのとは違う、
ドラマや、しぐさや、その人物像そのものが持つユーモアな感覚、
これは非常に表現が難しいが、
確かに、それは乏しい気がする。
ただ、今回の上演でのプークの『ねぎぼうずのあさたろう』は、
例えば浪曲を使っていたり、
誰もが知ってる人情話的な展開は、
ユーモアたっぷりだったとも思うので、
この辺はお国柄の違いなのかな、とも感じた。
そして、そのあとに、
今デンマークでは新しい創造の指針をもとに、
作品の評価を始めているという。
おそらくこれも、批評対話の流れの中で生まれてきたものだろう。
Y字を書き、
その3方向にそれぞれ評価基準があり、
評価によって、その長さを変えていく。
そのY字の形により、
作品の特徴や、バランスなどを図で表すやり方だ。
IAN(イアン)モデルと呼んでいた。
まずYの一角は、
“I”=Intention。
意図。コミットメントして、伝えようとする心があるかどうか。
“A”=ability。
能力。芸術的、技術的能力。俳優の能力。
“N”=necessity。
必要性。上演する重要性。観客のためか、自分のためか。
例えば、『ラリー』は、
IとNのラインが長く、Aが短くなるだろう、とのこと。
なるほどね。
批評対話の表現よりも、
もう少しわかりやすく、直接的だな、
さて、この批評対話。
3日間の講座が終了しても、
出会いのフォーラムのいたるところで、
作品の話をしている人が増えたという印象を多くの人から聞いた。
作品鑑賞後に、
鑑賞団体の人が、どのように創造団体に感想を伝えるのか。
実は、単純そうで、
いろいろな影響を与えることが多い。
それが良い意味でなら問題ないが、
違った意味で(誤解を含めて)伝わってしまうことが多い。
批評対話によって、どのように話せばよいか、
分かったように思う、という話を聞いた。
かつてあった“児演協”というブランドは、
過去のものとなり、
加盟劇団であることが、作品のクオリティの信頼になっていないとしたら、
悲しいことだ。
だから、この批評対話を、
派手目に宣伝し、アピールに使った。
今後も数年かけて、
自分たちで、日常的にできるようにしていきたいと思う。
簡単に、ひょいとそこへ行けるとは思わないけど、
できるだけ、多くの人を巻き込みながら、
先へ進んでいきたいな、と思っている。
講師のピーターと、レーネが話してくれたことを書いておこうと思う。
3日間を通して感じたことで、
どの作品にも、もう少しユーモアがほしいと思った、とのこと。
確かにこれは大事だ。
現在の日本の児童青少年演劇では、
その場しのぎ的というか、
一般的に「子どもにこびる」というのとは違う、
ドラマや、しぐさや、その人物像そのものが持つユーモアな感覚、
これは非常に表現が難しいが、
確かに、それは乏しい気がする。
ただ、今回の上演でのプークの『ねぎぼうずのあさたろう』は、
例えば浪曲を使っていたり、
誰もが知ってる人情話的な展開は、
ユーモアたっぷりだったとも思うので、
この辺はお国柄の違いなのかな、とも感じた。
そして、そのあとに、
今デンマークでは新しい創造の指針をもとに、
作品の評価を始めているという。
おそらくこれも、批評対話の流れの中で生まれてきたものだろう。
Y字を書き、
その3方向にそれぞれ評価基準があり、
評価によって、その長さを変えていく。
そのY字の形により、
作品の特徴や、バランスなどを図で表すやり方だ。
IAN(イアン)モデルと呼んでいた。
まずYの一角は、
“I”=Intention。
意図。コミットメントして、伝えようとする心があるかどうか。
“A”=ability。
能力。芸術的、技術的能力。俳優の能力。
“N”=necessity。
必要性。上演する重要性。観客のためか、自分のためか。
例えば、『ラリー』は、
IとNのラインが長く、Aが短くなるだろう、とのこと。
なるほどね。
批評対話の表現よりも、
もう少しわかりやすく、直接的だな、
さて、この批評対話。
3日間の講座が終了しても、
出会いのフォーラムのいたるところで、
作品の話をしている人が増えたという印象を多くの人から聞いた。
作品鑑賞後に、
鑑賞団体の人が、どのように創造団体に感想を伝えるのか。
実は、単純そうで、
いろいろな影響を与えることが多い。
それが良い意味でなら問題ないが、
違った意味で(誤解を含めて)伝わってしまうことが多い。
批評対話によって、どのように話せばよいか、
分かったように思う、という話を聞いた。
かつてあった“児演協”というブランドは、
過去のものとなり、
加盟劇団であることが、作品のクオリティの信頼になっていないとしたら、
悲しいことだ。
だから、この批評対話を、
派手目に宣伝し、アピールに使った。
今後も数年かけて、
自分たちで、日常的にできるようにしていきたいと思う。
簡単に、ひょいとそこへ行けるとは思わないけど、
できるだけ、多くの人を巻き込みながら、
先へ進んでいきたいな、と思っている。