ドーナツ池のひみつ/劇団如月舎/代々木オリンピックセンター・リハーサル室
作 阿部夏丸(『ライギョのきゅうしょく』(講談社刊)より)
脚本 りさへ
演出 杜招徳
出演 開藤幸司 寺田和子 村上一弘 渡辺慶子 川西智也 森山悠太
まずは導入に劇団の紹介があり、
最初の質問はこの作品は教育的な作品か、芸術的な作品か、
ということでした。
言わばWhyである。
これには、どちらかというと非教育的とみられることが多い、
との答え。
しかし、デンマーク人講師たちは、
教育的な印象があったという。
(ちなみに僕も、そして、ほかの参加者も同意していた人が多かったようだ)
特にプロローグ。
先生役の俳優が、
池の中での生態系の話をし、
非常にリアルで、エコロジカルな話も交えて導入部があった。
ここで話題になったのが、
舞台と観客との合意の問題だ。
物語は池の中にある魚の小学校。
魚を含めた生態系の食物連鎖のシステムが語られ、
一方でそれを表現するために、
ありもしない魚の学校を使った。
このことを、どのように観客と合意しているか、
言い換えれば、
作り手が思うように観客が合意してくれるか、
ということだ。
その部分が伝わりにくかった。
例えば物語の中で、
いくつか選択肢があり、
選んだその選択肢がどうだったか、ということだ。
食物連鎖や、弱肉強食の厳しさや、
それでも元気に生きてほしいという願いなのか、
その世界観が人間の子どもを取り巻く状況に移し替えているのか、
どういう風にも取れてしまう危うさがあった。
そして、
レクチャーではなく、芸術として子供に届けるということや、
教育性と芸術性・娯楽性のバランスということについて語られた。
劇団側は、
「観終わった後に、勉強になったというよりは、
楽しかったと言われたい」ということだった。
しかし、それでは、どういうバランスを取りたかったのか、
ということと合わない気がした。
次に話されたのが、
Howの部分、どのような脚本の構造か。
とても端的に言ってしまえば、
イントロダクションがあり、
幼馴染との生態系の違いというジレンマがあり、
それでも違いを認め合おうということがあり、
ただ、元には戻れないということを知り、
解決されていく、
という構造だ。
問題とされたのは、
どこがNo Returnとなった部分か。
ここで興味深いには、
観客からは様々な意見が出たことだ。
食物連鎖を学んだところ、
小さい魚が食べられるところ、
ラストのところ、
それでも2匹は生き残ったというところ……等々。
前述の討論の展開を受ければ、
この部分に合意が得られていないともいえる。
そして、これは、
俳優たちも微妙に違っていたりもする。
もちろん、狙ってそういうこともあるだろうが、
やはり物語としては、
大事な部分である。
俳優の役作りが、
観客にどう影響があるか、
どういう効果があるかということで、
無意識でやられていたことを発見することになった。
役作りに関して、
俳優たちの答えは明確で、
例えば「元気に」であったり、
シンプルであった。
しかし、そのキャラクターが、この作品の中で、
どのような役割があり、
どのような効果があるのか、
ということはあまり意識されていないようだった。
最後に主演の俳優が、
照れ隠しもあったと思うが、
今日のような大人ばかりの観客ではなく、
反応がはっきりある大阪での子どもたちの前での公演の方が楽しい、
ということを話していた。
すごく率直な感想だと思う。
しかし、一方では、
彼の未来を憂いてしまったのも事実だ。
2日目には、
観客との合意、
意識的なキャラクター、
ということが中心に話されました。