a letter from Nobidome Raum TEE-BLOG

東京演劇アンサンブルの制作者が、見る、聞く、感じたことを書いています。その他、旅公演や、東京公演情報、稽古場情報など。

『荷(チム)』が呼ぶもの

2012-02-29 09:44:38 | 東京公演
今日は突然、
元浮島丸の乗組員だという方が新聞記事を見て、
観に来てくれました。
小野寺和一さんです。
ほとんど他界されている方が多い中で、
今、生き証人として残っている方とお会いできるのは、
いろんな意味で貴重な体験だ。

せっかくなので、
終演後に少し残っていただいて、
出演者とともにお話を聞きました。



14歳で旧海軍に入隊し、
敗戦当時は16歳だった。
浮島丸の通信係で、
2年も海軍にいると、
それなりの責任者であったという。

大湊に入港して、
下船の準備をしていたという。
荷物はすべてまとめて、
もう降りるだけであった。
浮島丸は桟橋に接岸していた状態ではなく、
少し離れて停泊していた。

釜山に向かうこととなり、
下船できずに、朝鮮人を乗せて出港する。
爆弾のうわさなど知らなかった。
ただ、接岸していない船に、
そんなものを仕掛けることができるとは思えない、
とのことでした。

航行中、
GHQの指示により、
大型船の航行が停止することになり、
直近の舞鶴港に入港することになった。
小野寺さんは、通信係りの責任者でもあり、
近場の港に寄港するようにという指示を受けた人でした。
機雷はすでに除去済み、ということだった。

浮島丸の前を、
中規模な船が舞鶴湾に先導する形で入港した。
全く問題なかったので、
そのあとを追うように舞鶴港に向かった。
その時触雷し、沈没したのだ。

小野寺さんは、入浴しようとして、
裸のままだった。
立ったまま上に飛び跳ねて、
頭を打ってしばらく意識がなかったという。
気がつくと床が傾き、
あわててタオルを腰に巻いた。
逃げなければと思った。
途中で、投げ出されていた朝鮮人のズボンをはき、
とにかく逃げようとした。
途中乳飲み子を抱えた若い朝鮮人の夫婦が助けを求めていた。
そこへ、日本人の男性が、
乳飲み子を受け取り、
自分から離れるな、と夫婦に言っていたのを覚えている。
自分にはできない、そう思ったことを鮮明に覚えていた。
その男性を、数年後の集まりで見かけることができ、ほっとした。

そんな話をお聞きしました。

不思議だったのは、
小野寺さんがこの公演を知ったきっかけ。
友人から送られてきた荷物が包まれていた新聞が、
たまたま読売新聞が取材してくれた『荷(チム)』の公演の記事だったのです!!
なんとも、不思議な話です。

これも“荷”の力なのでしょうか。
演劇というものは、期せずしてそういう側面も持っている。
以前も、シベリア抑留の話が出てくる『蜃気楼の見える町』という芝居では、
その引き上げの方がいらしてくれたことがあります。

東京演劇アンサンブル公演『荷(チム)』、
公演は3月4日までです。
ブレヒトの芝居小屋でしか実現しなかった舞台を、ご覧ください!!