言いだしっぺなんだが、何を書いてよいのかわからない……。
『銀河鉄道の夜』はおかげさまでかなり満席となりました。
23日夜と25日夜はまだ余裕あるんですが……。
1989年1月15日、昭和天皇が死んですぐに劇団に入った。
わたしたちの劇団は年号は使わない。
だからいま平成何年かわからないのだけれど、
考えてみたらその平成という年の分だけわたしは劇団にいたことになる。
89年は世界的にも激動の年だった。
東京オリンピックの年に生まれ高度成長期に育ちバブル期に卒業した、
いまから思えばとても楽天的な世代。
それでも天安門とベルリンの壁崩壊は驚天動地の事件だった。
その年から始まった劇団生活はイコール芝居小屋での勉強生活であり、
まあ、家とか学校のようなものだった。
自分のアパートをいくら引っ越しても、芝居小屋があるからたいしたことはなかった。
子育てもした。
保育園から息子を連れてきては、そこらへんにはなっておいた。
若い研究生や劇団員が面倒を見てくれた。
だから〝おっかない小森さん〟という制作者でいられた。
ここがなくなる、ということはまだよくわからない。
建物が壊される日には見に来るんだろうな、とか諸々想像はしてみるが……
先輩方が建てた稀有な空間であり、
広渡常敏の城であり、
やさしかったり厳しかったり仲が悪かったり良かったりドロドロだったり……、
つまり世間と同じである。
ただ、芝居を創ることに向けての集中力と諦めの悪さはすごい。
それを許す場所を持っていたことは、すごい。
イベントもした。
岡本有佳氏とは、広渡常敏と編集者の松本昌次という犬猿の仲良しの後継同士として知り合った。
彼女とやった数々のイベントは新しい試みだった。
芝居小屋に様々な文化人が集うすごい機会だった。
少女像まで腰を落ち着けたし!!
大家さんも、お金に縛られないで、このすごい価値を堪能しつづけてくれたらいいのに、と思う。
もっとたくさんの演劇人と組んでここの継続を狙えばよかった、とも思う。
けれども、星の数ほど劇団があるのは、
星の数ほど表現方法が違うということなのだから、簡単に劇団が組むなんてできないよな、とも思う。
だから、わたしたちは、移転する。
結局わたしたちの芝居小屋だったのだ。
いろんな風に利用したけれど、東京演劇アンサンブルの拠点だったのだ。
遠い、暑い、寒い、腰が痛い……さんざん言われ続けてきたけれど、なくなると寂しいでしょ?
こんなお化け屋敷(笑)
年末の納会では、小森、一応最後の厨房です。
壇一雄が「同じ釜の飯を食うんだろ?」と贈ってくれた厨房セット一式もいまはシンクとオーブンが残るだけ。
で、100人分ぐらいのパーティー料理をつくらねば。
そして最終公演は未だ形の見えないカレル・チャペックの『クラカチット』。
原子爆薬とメロメロ恋愛ドラマの変なSF小説の舞台化なんだが……まだまだドタバタはつづく。
そして夏、嵐のように、新天地求めて船出します!!
気の休まる暇のない、いつでも事件だらけの東京演劇アンサンブルより愛をこめて~