あと半年もすれば、ぼくたちは今とは別の場所に新しい拠点を構えているのだろう。
そしてそれからまた半年もすれば、少しずつ慣れてきた新天地で、
ブレヒトの芝居小屋のことを思いだしながら、また新しい作品創りに励んでいるのだろう。
もともとはアナーキーで遊牧民的な生き方に憧れていた劇団なのだから、こんなこともあるだろう。
人生はそう甘くはない、甘えはよくない、
それに生活には変化が必要だ。
そう思うことにしよう。
環境が変わることでなにかは確実に変化する、良くも悪くも。
しかし劇団の財産は人と作品なのだから、人がどこからでも集まってくるような芝居を作ることを考えよう。
演劇を続けながら人生を送れるなんて、こんな幸せはなかなかない。
それをきちんと手に入れよう。
人生の困難は乗り越えるためにある。
続けることは才能につながる。
芝居は生き方そのものなのであって場所ではない。
芝居は“わたし”そのものだ。
だから“わたし”がしっかりしていなければ芝居はフニャフニャにしかならない。
フニャフニャな生き方ではつまらない。
生き方に場所は関係ない、おそらく。
今は亡き演出家の広渡さんからぼくがさんざ教え込まれたこと。
あらゆることにおいて安定することなく、
常に不安定な足場の上に身を置いて歩みを進めること。
そしてそこに身を投げ出すための覚悟と不安(矛盾)を抱きながら、
その行為の先に生まれるであろう“なにものか”を信じること。
それから、ナイーヴであること。
じぶん自身と向き合うことを忘れずに世界を見つめること。
などなど、おそらくこれはキラキラと生きるための秘訣だ。
この秘訣をいつか手に入れたい、と思っている。
『かもめ』のトレープレフは「新しい形式が必要なんです!」と叫び続けている。
世界中で、かれこれ100年以上も前から。
東京演劇アンサンブルの前身であった三期会はチェーホフ研究会だった。
頭と心を柔らかくしよう。
鈍感なじぶんの日々の態度に疑いのまなざしを向けよう。
そしていろんなことを努力して手に入れよう。
日々世界で更新されていく情報に意識を傾けて、感覚を研ぎ澄まそう。
これから先劇団がどうなるか世界がどうなるかなんて一寸先のことはわからないけれど
「何処の岸辺に着くかも知れぬ船乗りのように」
勇気を持って船出しよう、新しい始まりを迎えられるように。