法学を相当学んだはずの人でも、感情に流されて処罰することがあり得るのだから、罪刑法定主義や適正手続の重要性を改めて認識させられた。
— 中村剛(take-five) (@take___five) August 1, 2021
というのは、恐らく以下の書き込みを指して言っているのだろう。
性暴力名古屋地裁岡崎支部の無罪判決や本多議員事件は、人権感覚のリトマス試験紙のようだ。
— 笹沼 弘志 (@sansabrisiz) July 31, 2021
罪刑法定主義というのは、人権を根本的価値として尊重するから意義があるのであって、男権主義的権力を守るためなら打ち壊すべきものに過ぎないよ。アンシャンレジームの法の支配は人権の敵。
かなり読みづらい文で、twitterとは斯くの如しかと思わされる。「罪刑法定主義というのは」「男権主義的権力を守るためなら打ち壊すべきものに過ぎない」ということで次の例話が続くとなると―
一番簡単な例え話しようか。法の支配からすれば、契約は守らねばならないはず。
— 笹沼 弘志 (@sansabrisiz) July 31, 2021
でも、強欲な社長が、劣悪な条件で労働させようとしたらどうする?
契約という法を守れというのか?
労働法制をやぶる「強欲な社長」は、この場合、打破されねばならぬものと設定されていよう。するとこの「強欲な社長」は守られるべき「男権主義的権力」ではない。「男権主義的権力を守るためなら打ち壊すべきものに過ぎない」ものである。
とすると、守られるべき「男権主義的権力」とは、この場合、虐げられている労働者に他なるまい。労働者の典型を男性とみて、その上でプロレタリアート独裁をいうなら、なるほど労働者を「男権主義的権力」と表現するのは、まああり得るかと思われるが、さてこの解釈はどうだろう。
このツイートを罪刑法定主義の否定と読む人がいるなら(いないと信じるが)、誤読だろう。 https://t.co/TUMUpJ5jcq
— 渡辺輝人 (@nabeteru1Q78) August 1, 2021
おそらく、典型的には男性労働者によるプロレタリアート独裁を意図し、そうした権力を男権主義的権力とよび、これをまもるためには「造反有理」的にアンシャンレジーム的権力を打破せねばならぬという、何といおうか、フランス革命的世界観の文章なのであって、単に罪刑法定主義の否定というものではないようだ。
相手次第で罪刑法定主義の適否が変わるのですか?その線引きは誰が行うのですか?時の政府の都合や思想で適正手続を受けられない人が出ることほど恐ろしい人権侵害はないのではないですか? https://t.co/I83ipyS2nX
— § 佐藤倫子 (@sato__michiko) July 31, 2021
この佐藤氏はジェンダー法学といった感の論者のはずだが、その立場から「男権主義的権力を守るためなら打ち壊すべきものに過ぎない」をやや誤読した可能性がなきにしもあらず。
今の司法にジェンダーの視点が必要であると思うが故に、このような、基本原則を蔑ろにしているように見えるラディカルな言説は、ジェンダー法学やフェミニズム法学への誤解や無用な忌避感を招くものであって、私としては受け入れ難いものがあります https://t.co/I83ipyS2nX
— § 佐藤倫子 (@sato__michiko) August 1, 2021
…「檀健主義的権力を 打 破 す る ためなら」と誤読したのではなかろうか。笹沼氏は「邪悪な資本家を打破せよ」と言っているのではなかろうか。
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