10月1日にケニア北部のリゾート地,Lamu諸島の小島Mandaから誘拐されたフランス人女性Marie Dedieu(66歳)は死亡したとのこと。
BBC French hostage Marie Dedieu held in Somalia dies 19 October 2011 Last updated at 09:31 GMT
解放交渉にあたっていたフランス外交筋の情報。
その死の正確な状況・日付は不明。しかし,車椅子使用の癌患者・心臓疾患者であって,定期的に投薬を受ける必要があったMarie Dedieuである。薬が切れれば死は足早に訪れるだろうことは想像されていたところ。
フランス外務省は「我らが同胞に示した,誘拐犯たちの人間性の完全な欠如と残酷さに怒りを」表明る。そして責任者たちを法廷に引き出すようもとめるのである。
Voice of America French Woman Kidnapped in Somalia Dies 19 October 2011
「Dedieu was in her mid-60's and used a wheelchair, which the kidnappers did not take with them」
そんなわけで,Voice of Americaは「誘拐犯ども,車椅子を持って行ってなかったよね」と付言する。『誘拐するにも仁義ってもんがあるよな』と暗に仄めかすよい手であるね。以下,ケニア軍の進撃の具合や,モガディシュでのテロの件について概要を述べている。
実際,犯罪者側の合理性という点からみても,どうにも下手なのである。
人質というのは『こっちの要求を聞かないとこいつを殺すぞ』とその首にナイフを突き付けていないと機能しない(@リナ・インバース)。『お前たちがこっちの要求を聞かないから人質を殺してやったぞわはははは』というのはまあ反米テロの手口であって(イラクやアフガンやでさんざっぱらやったが),この場合,意図的に(爆弾テロの場合は,かつ無差別に)殺すところに意味がある。
だから今回みたいに,勝手に―という表現もまあ何だが―病死されると,誘拐した方もされて脅されてる方も,振り上げたこぶしの落とし所に困る。
にもかかわらず人質としたあたり,その判断の背後には『早急に金になるならそれでいいし,まあ金になる前に死んでもこっちの懐は痛まないし?』みたいな程度の低い合理性しかない,ということになろう。そーゆー非人道性を理由に手痛い反撃を食らっているわけだが。
たぶん,この件では,アルシャバブは(実行犯が海賊の類だったとしても)早急にMarie Dedieuを「誘拐犯から奪回」し,「人道的配慮」を以てケニアに送還するのが正解だっただろう。「死に瀕した女性に,その魂の救いのためにイスラームに帰依するよう固く言い含めた」とでも声明すればさらに芸が細かい。そうやって外の世界には『アルシャバブは誘拐犯とは敵対的である』とポーズし,配下には『もっとかっちり商売できそうな獲物を選べ阿呆』と指導することができた。
ケニアは自国の治安状況に非常な疑いをもたれ,フランスは自国民を無法な犯罪で失い,アルシャバブは手間暇かけて儲からず,かつその話を理由とする大規模軍事介入を受ける。当のMarie Dedieuは余命を極端に縮められ異郷に死んだ。誰も幸せになっていない。これを悲劇と言わずなんというのか。
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