【悲報】京大英作ついに問題文まで自分で考えさせるようになる pic.twitter.com/6vOUEUsX7L
— 駿介 (@1224_shunsuke) 2018年2月26日
これ悲報じゃなくて、普通に良い問題だと思うけどなあ。しかしパターンでしか問題解いてこなかった人は死んだんじゃないか。まさにそういう人を振り落とす為の問題なんじゃないか。 https://t.co/JxWj2QxPsL
— kazy (@gakeau) 2018年2月28日
まあ、そう言う人にとっては悲報だったのでしょう。こういう問題は増えることはあっても減ることはないですよね。英語以外の知識や時事的な話題への関心も問われるので非常に良い問題。 https://t.co/2RmSBp5Cor
— 増田の准教授 (@ProfMasuda) 2018年2月28日
これは立場の差、学習の水準の差がでますね。
イヤな言い変えをするなら、「フツーの」試験は、与えられた問題を解く係としての優秀性を測る。他方、その水準をクリアした上で課題を発見し適切に言語化してゆく、物事を理解し構想してゆく係としての優秀性を測るような試験もあるということ。
後者の能力は結構希少であるらしく。最近は、できれば教育で伸ばせないものかと、アクティブラーニングだのなんだのといってどうにかしようと試みている…というところかと。
日本にいたころは、何かすると、前例がないのでできませんって言われてきた。しかし前例がある事に決断力とか不要なのであって、前例がないから考える意味があるのであって、前例がないから考えないという姿勢は思考を拒否してるのであって、思考を拒否する人はなんの価値も生み出さないのであって。
— 古賀 洋吉 / Yo Koga (@yokichi) 2017年2月19日
とまあ、「前例」という「正解」に頼りすぎるひとばかりを出してきはしなかったか…ということかと。
しかし
「そんなことを言う人に給料を払う意味がない」という結論部分を省略しているの、実に奥ゆかしい。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年2月19日
…新たな価値の創出にむけての意識を持って欲しいなあと、そういう問題なのだろう。
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