空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

見ていた記事メモ(2020-03-24)

2020-03-24 20:16:50 | Weblog
差別と言う用語をめぐるお話



 差別と言うのは「合理化されず、不当な区別」をいうのだという理解なら、差別と言った瞬間、それは矯正されねばならぬものとなる。そこらへん、反差別運動を標榜する側が気楽に差別(等)の語を使いまくっているのもよくないのだろうな。いやまあ、日常語では「差別」は「区別」となかなか「区別」できないのもその通りなんだが。ならば求められるのは運動家側の学習・訓練ということになるかなあ。

共産党さんをめぐるお話





 そういう行動が見られる例もあって、えらく嫌われることもあるのだろう。共産党さんは、せっかく強力な中央指導政策をとるのだから、不届きな下部をできるだけ制圧するとよいのだろう。さてしかし、最近はどうなんだろうね。

参照項目:沖縄・ゴムボート放火事件と老人の労働力の搾取の問題とエリート様の歩むコースと 2019-02-07

…うんまあ、最後のご奉公というべきだろう。
 あるいは、この逮捕・起訴・法廷の闘争を終えれば、壇上で演説する権利が得られるものかとも思われ、この点、人生の戦略としてそれなりにアリではないか。

 …個人的な趣味からいえば、平均寿命に近い年齢である、もう引退して数年間の余生を安楽に過ごすのはどうだろう、とも思うが。

 しかし、己の人生を闘争の人生と規定しようとする場合、これまで特段の活動がなかった自分に、その人生の最後に一花咲かせようというのは、まあわりと深い納得が出来る。

 しかし
」「エリートにはエリートの道が用意され(Wikipediaに頁ができているレベル)、ぐぐっても情報がでない老今中は最後の一花としてゴムボートに放火する。エリート高原は逮捕歴もない(!)全学連委員長として、逮捕される老人たちとは違う道を歩むのだろう

 もしかしてこういう極左さんと同じコースを意図したものかもしれず、それは本気でよくない。

内心の自由とも関わるには関わるんだよなあ



 LGBT運動にせよ、フェミニズム運動にせよ、皮膚感覚的に嫌う向きがあるのは尤もなのだ。なにしろ「これこれについてはこのように思って受容するのが正しいです。反するならお前は差別主義者だ」と断じて来る―というのは、それなりに事実ではある。思うに、3%くらい発生的に生まれつきに本能的にガチのLGBがいるなら、当然、その逆パターンもあるだろう。ホモフォビアなんてのは長く伝統あるものではあろう、つまりそれを支える必然性というのもそれなりにあるのだろう。『身体の中に入られる傷害行為』を嫌うが故に男性の存在を否定するというフェミニズムがあるというなら、そりゃあ男性(異性愛タイプ)が男性(同性愛タイプ)をそのように思うのもアリじゃないか、と仮説することだって可能だろう。

 そんなこんなで、まあそれなりに身体的・皮膚感覚的なところに発するそんなアレコレの思いを一応制圧し、「全ての人は平等に等しい権利を持ちます」と仮定するあたりに人間の知恵があるのと違うかなあ、という方向で、ひとつ。

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