神戸大学大学院国際協力研究科 教授 木村 幹 (政治社会発展論講座)のホームページ
―を「備忘録」に入れるということは,私は彼と同じ(ないし隣接)分野にはいないということ。
いやこれがいいことを言うのである:
@kankimura Kan Kimura 「まあ、何れに「論文読んでもらえるかどうかは、英語で書くとか、オーディエンス考えるとか、そういうもんじゃないだんよ。僕の本は日本語で書いても、英語でも韓国語でも翻訳されるんだよ」というレベルの研究者がいるという事は、幸せな事だと思う。そこまで行けないにしても、何とか近づきたい。」(2012/2/18)
twitterなので言葉足らずになったり,解釈の幅が出たりすることはあろうが,「価値あるモノを書く」ことを重要なこととし,そうした価値あるモノを書く人がいることは幸せなこと,でしょうか。
オーディエンスを考えたりするでしょう,という突っ込みはありえる。日本国内向けに書いても受け手がいないかなーというテーマの場合,まあ英語にしましょうかということはありえる。
@kankimura Kan Kimura 「例えば、今の40代の政治学や歴史学研究者は確かに、60代の研究者より英語での発進力がある。しかしそのことは今の40代の研究者が60代になった時、我々の研究が生き残っている、ということを意味しない。勿論、我々より若い世代も同様。時代の中で消費されるだけの研究なら詰まらない。」(2012/2/18)
『英語で発表しなさいっ』っていう声に反発する気持ちが出るのは,英語で書くことが自己目的化しかねないからだな。
それは大変典型的な物象化だな。
必要なモノを,必要な形式で,必要な所に提示することが必要なのであって,IFの高い所に掲載してもらうこととか英語で書くこととかは問題ではない(少なくとも,理念的には。IFがすごい幅利かす分野は,それはそれで質の保証のためになっているだろうから,その限りでは良き目的に適う)。
例えば,博士号って何のためにあるのか,考えてみればいい。
私の仕事場の同僚は「なんで空野先生,そんなに勉強してるの。もう博士でしょう?」と来たものだ。博士号を給料のレートを上げる材料程度にしか考えていないんだろう。私は,”今”やっているのは,博論の注の一個を精密化する仕事でして,と言った。そしたら,”博論の手直しをしているんだ”ということで納得された。
また―いやな,その仕事場の同僚には,合コン仕組まれたんだ。で,そのお相手の人について情報を聞こうと思って,最近は何をされてる人なんですかと聞いたら,そのひとについて「だって先生ですよ」と返された(非常勤講師だが)。先生になったんだから,研究する必要はないのだという意味らしい。
―いやあの,当然のこととして先生業やってるからには,トレーナー役の人もすっごい数が必要なんだってことは私も承知しています。トレーナー役の人々の有能さはその学校の教育の成否を分ける重要な要素のひとつなんだと理解してます。
―でも。高等教育機関の建前なんだ,我々は。どうやったらトレーニングがうまく出来るか,その検討もしなきゃいけないんじゃないのか。そのためには研究が必要なんだ。
博士号は,一応の水準に達したという免許状であって―喩えれば自動車の運転免許証に相当するんであって,『ぼく運転免許とったよ!』って言うだけで,運転自体一切しない人がいたら,それはおかしい。
―うん,自動車の喩えでいけば,運転行為に相当するのが教育実践なのだと,ある種の人々は理解するのだろうな。それはそれで納得する点はあるのだが,一応高等教育機関の所属の人間として,教育の質の向上のためにさらなる活動が要請されるだろうなあとも思うのではある。
いやだってさー,小中学校の先生だって,授業研究怠りない(建前)なわけだ。高校の先生だってそのはずだ。じゃあ我々もそのようでなければならず―さらには博士様でござい,教授様であるぞ,と高給を食んでいるからには,それなりのモノが要求されるよねえ,と思うのである。
@kankimura Kan Kimura 「考えてみれば、デビュー戦以来、20年近く、学会関係では「他人を褒めた」ことない自分としては、これまで無数に敵やら何やら作って来たに違いない訳で、今更「褒めてもらえる」と期待している訳ではないのだが。破壊したセッションの数、ぶち壊した報告数知れずだから、恨まれていない訳がない。」(2012/2/18)
…それはすごいな。
@massa27 ESHITA Masayuki 「留学経験者ならわかると思うが、母語以外の言語で講義を受けると、自分の知能が6掛けか7掛けぐらいになった気分になる。母語で高等教育を受けられるのは、それだけシアワセということだし、先人が苦労を積み重ねてここまできた。近頃の大学の国際化は、それを崩壊させる恐れがありやしないか。」(2012/2/16)
@massa27 ESHITA Masayuki 「自然科学分野で世界最高峰の学者から母語で講義を普通に受けられる国は、非英語圏ではフランス、ドイツ、日本ぐらいではないの?(ロシアは除外) この事実はもっとほこるべきだと思うが。THEの大学ランキングで英米の大学を除外してみるといい。」(2012/2/16)
私は留学を経験していないが,留学生から日本語の有り難味を教えられましたね。
―を「備忘録」に入れるということは,私は彼と同じ(ないし隣接)分野にはいないということ。
いやこれがいいことを言うのである:
@kankimura Kan Kimura 「まあ、何れに「論文読んでもらえるかどうかは、英語で書くとか、オーディエンス考えるとか、そういうもんじゃないだんよ。僕の本は日本語で書いても、英語でも韓国語でも翻訳されるんだよ」というレベルの研究者がいるという事は、幸せな事だと思う。そこまで行けないにしても、何とか近づきたい。」(2012/2/18)
twitterなので言葉足らずになったり,解釈の幅が出たりすることはあろうが,「価値あるモノを書く」ことを重要なこととし,そうした価値あるモノを書く人がいることは幸せなこと,でしょうか。
オーディエンスを考えたりするでしょう,という突っ込みはありえる。日本国内向けに書いても受け手がいないかなーというテーマの場合,まあ英語にしましょうかということはありえる。
@kankimura Kan Kimura 「例えば、今の40代の政治学や歴史学研究者は確かに、60代の研究者より英語での発進力がある。しかしそのことは今の40代の研究者が60代になった時、我々の研究が生き残っている、ということを意味しない。勿論、我々より若い世代も同様。時代の中で消費されるだけの研究なら詰まらない。」(2012/2/18)
『英語で発表しなさいっ』っていう声に反発する気持ちが出るのは,英語で書くことが自己目的化しかねないからだな。
それは大変典型的な物象化だな。
必要なモノを,必要な形式で,必要な所に提示することが必要なのであって,IFの高い所に掲載してもらうこととか英語で書くこととかは問題ではない(少なくとも,理念的には。IFがすごい幅利かす分野は,それはそれで質の保証のためになっているだろうから,その限りでは良き目的に適う)。
例えば,博士号って何のためにあるのか,考えてみればいい。
私の仕事場の同僚は「なんで空野先生,そんなに勉強してるの。もう博士でしょう?」と来たものだ。博士号を給料のレートを上げる材料程度にしか考えていないんだろう。私は,”今”やっているのは,博論の注の一個を精密化する仕事でして,と言った。そしたら,”博論の手直しをしているんだ”ということで納得された。
また―いやな,その仕事場の同僚には,合コン仕組まれたんだ。で,そのお相手の人について情報を聞こうと思って,最近は何をされてる人なんですかと聞いたら,そのひとについて「だって先生ですよ」と返された(非常勤講師だが)。先生になったんだから,研究する必要はないのだという意味らしい。
―いやあの,当然のこととして先生業やってるからには,トレーナー役の人もすっごい数が必要なんだってことは私も承知しています。トレーナー役の人々の有能さはその学校の教育の成否を分ける重要な要素のひとつなんだと理解してます。
―でも。高等教育機関の建前なんだ,我々は。どうやったらトレーニングがうまく出来るか,その検討もしなきゃいけないんじゃないのか。そのためには研究が必要なんだ。
博士号は,一応の水準に達したという免許状であって―喩えれば自動車の運転免許証に相当するんであって,『ぼく運転免許とったよ!』って言うだけで,運転自体一切しない人がいたら,それはおかしい。
―うん,自動車の喩えでいけば,運転行為に相当するのが教育実践なのだと,ある種の人々は理解するのだろうな。それはそれで納得する点はあるのだが,一応高等教育機関の所属の人間として,教育の質の向上のためにさらなる活動が要請されるだろうなあとも思うのではある。
いやだってさー,小中学校の先生だって,授業研究怠りない(建前)なわけだ。高校の先生だってそのはずだ。じゃあ我々もそのようでなければならず―さらには博士様でござい,教授様であるぞ,と高給を食んでいるからには,それなりのモノが要求されるよねえ,と思うのである。
@kankimura Kan Kimura 「考えてみれば、デビュー戦以来、20年近く、学会関係では「他人を褒めた」ことない自分としては、これまで無数に敵やら何やら作って来たに違いない訳で、今更「褒めてもらえる」と期待している訳ではないのだが。破壊したセッションの数、ぶち壊した報告数知れずだから、恨まれていない訳がない。」(2012/2/18)
…それはすごいな。
@massa27 ESHITA Masayuki 「留学経験者ならわかると思うが、母語以外の言語で講義を受けると、自分の知能が6掛けか7掛けぐらいになった気分になる。母語で高等教育を受けられるのは、それだけシアワセということだし、先人が苦労を積み重ねてここまできた。近頃の大学の国際化は、それを崩壊させる恐れがありやしないか。」(2012/2/16)
@massa27 ESHITA Masayuki 「自然科学分野で世界最高峰の学者から母語で講義を普通に受けられる国は、非英語圏ではフランス、ドイツ、日本ぐらいではないの?(ロシアは除外) この事実はもっとほこるべきだと思うが。THEの大学ランキングで英米の大学を除外してみるといい。」(2012/2/16)
私は留学を経験していないが,留学生から日本語の有り難味を教えられましたね。
『やれると思ってるのかお前は』という突っ込みはあるかもしらん。
本気でやってたら実際,身が持たないだろう,うん。
家庭生活の負担(?)がない私ですら,これほどに体も時間も辛い。