おとなりのイヌを食う文化が相当批判されてるけど、イヌが禁止になったら次は馬肉に抗議来ると思うから耐えてほしい
— まくるめ (@MAMAAAAU) 2018年4月28日
それそれ。ワンコの肉を食う文化を小生は限りなく嫌悪するけど、よその文化なんだから認めなければならない。そこに口出すと、われわれの文化によそから口出してくるのを、押し返しにくくなる。嫌いなものに多様性を認めるかどうかで、本物のリベラリズムと口先だけの「リベラル」とが分かれる。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2018年4月29日
あーいや、前者の言い方だと、「悪徳レベル10のおとなりの文化に対する圧力がなくなると、悪徳レベル9のこっちの文化に圧力がくるから、まあ悪徳レベル10にはがんばって欲しい」という翻訳が可能であり、実利的な観点からくるものになろう、するとリベラルかどうかとはちっと違う評価軸がでるかと。
「がんばれっ、フセイン! がんばれっ、アサド! とくにアサドはがんばって! 次、オレだからby黒電話」みたいな論法であり、どっちみち滅ぼされなくてはならない、ただ順番が違うだけ、と言う話にも。
他方、文化的相対主義でいくと、下手するとなにもかもオッケーになっちゃうだろう。
なので、黒電話閣下のところの政体も、うんまあ多様なあり方の一つだよね、聞くところによると国民を区分する階層は三十三あるとかだそうだけど!ということで、別にかまわんわ、という話になる。
そこで、正義と人道にかけて許せるかどうか、千古一律の人倫にかけて許容できるかどうか、できないという水準で他の規則の相当部分を乗り越えて行動すべきという判断をも下せるかどうかが問われよう。
わんこを食う文化を嫌うか? ―私は、嫌いだ。
わんこを食うのは文化的か? ―そうとは、言いたくない。
わんこを食う文化は、存在は許容されるか? ―そうとは、言いたくない。
わんこを食ってはならないか? ―いけない、と言いたい。
原理原則的に、人間として、わんこを食ってはならないか? ―…はい、といいたくなる。
だが飢饉のときなど、緊急避難で食べることは、私にさえありえることだ。まあ現代日本でそうなるとはほぼ思えないが。人間として、人間を食うことは人倫に反するとはっきり宣言しようとは思うが、カルネアデス的に遂に人間を食わざるを得ないハメに陥る前に、私は犬を食うだろう。それゆえ、「人倫」レベルで言えば、犬喰いは割と禁忌から遠い、と主張せざるをえない。あくまで、人倫のルールを準用する対象である。その準用の順番が、わりと高い位置にいるだけのこと。
ということで、正義と人道にかけて犬喰い文化に鉄槌をくださねばならないのだとしても、その順番は相当低く―緊急性は非常に低く、とするとその必然性にも相当の疑義がある、と考える。
こうして、「よその文化なんだから認めなければならない」というのにも、それなりの人倫・正義との整合性を問うたり、合理性に訴えてみたりは、実はほかではしているのであるから、ときおり再考してみてしかるべきだろう。
農村戸籍と都市戸籍の存在も「いやあ、独自の文化だねえ」で済ましてよいものか。少なくとも望ましくないと私は言いたい。女性(外)性器切除/女子割礼も、「ああ、ひとつの文化だねえ」で当然済ませるべきものなのかどうか。せめて衛生的にやってくれというところでとどめる見解は、近年でこそ、「それもどうよ」という扱いだろう。しかし40年前なら妥協案としてはるかに人道的だっただろうし(確実に死亡率を引き下げる)、今でも相当の地域で実効性ある女性保護の方法でありえるのは確実だ。
…同様に、犬喰いについても、『なんぼなんでも、いたぶりまくって虐殺すればこそ味がよくなる、という見解はどうだろう』あたりからおいおい戦っていけばよいのではないか。『それは虐待だ』と。追々に意識を変えていけば、ひと世代ほどすればすっかり意識も歴史も塗り替えられるだろう。まるで「お~い、お茶」の解釈の変遷史のように。
Togetter 「『おーいお茶』の商品名は男尊女卑では」という話を聞いたツイ主さん→全くその発想がなかったので自分が思っていたイメージをイラストにしてみた結果
特別に犬肉用に選別した品種の犬を適切な方法で飼養し消費するなら、我々はさほど文句を言わなくなるのではないだろうか。
類似の例としては、ミニブタを想起すればいい。
あれはペットとして飼うものであり、飼えなくなったひとが別のひとに譲ったら、その譲られた側は(餌のやりすぎで?)扱えなくなったからといって潰して食ったという話があり、これは非難の対象となった。だが今日も今も次の瞬間も、世界のどこかでブタはつぎつぎ潰されて、それなりのコースをたどって食卓に乗る。
同様に犬についても、適切な犬種を適切なコースで適切に扱うことで、まあせかいのどっかの地域的文化ということでどうにかなるのとちがうだろうか。だいたい、韓国だって、隣の家のペットの犬を潰して食うなんてのは、いまでもあるにせよ、いまでも非倫理的行為扱いであるようだし(そりゃ当然だ)。愛玩動物と家畜と、きちんと概念的に・実際上にも区別できれば、まあなんとか。