空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

ライオンエア・エチオピア航空・自衛隊F35事故

2019-06-28 18:52:23 | Weblog
Ronza F35墜落事故は本当にパイロットが原因なのか 佐藤章 ジャーナリスト、慶應義塾大学非常勤講師、五月書房新社編集委員会委員長 2019年06月28日

この電子化ジャイロセンサーが原因となって、民間航空機であるボーイング737MAXが2018年10月にインドネシアで、今年3月にはエチオピアで相次いで墜落している

事故の前にパイロットが20回以上も機首を上げようと操作を繰り返し、そのたびにMCASが機首を下げようとしていた。つまり、どういう不具合が生じたのか電子化されたジャイロセンサーが機首を下げよう下げようとしているのに反し、パイロットがそれに抗して機首を上げよう上げようと悪戦苦闘しているうちに地上に激突してしまったという状況だ

 以上の点については概説として間違っていない。737Maxの機体の特性で、どーも機首があがりぎみなので、自動的に調整する機構をつけており、かつそのキャンセルが事実上不可能だったというのは繰り返し報道された。

 だからこれは、素人としてまあ問題ない認識なのだが、大問題がある―737Maxの機体特性のためにつけざるを得なかった機構・プログラムの話が、なんでF35墜落事故の記事に載っていないといけないのか?
 さらには

もちろん、簡単に推論の糸がつながるような話ではないが、事故を起こした自衛隊機についても、その観点から十分調査すべきポイントではないか。

 とまであっては、なんで十分調査すべきポイントだと確信できるのか。F35はそうまで浮き上がりの特性があるというのは周知の事実なんだろうか。ならばそう書けばいいじゃないか。なのに電子化ジャイロセンサーを用いているという一点からこうまで論理を飛躍させるのは、これだけではどうも危うきにすぎる。少なくとも「慎重ではない」と評価することになろう―これはふつう、相当否定的な評価だが。

 まあ、だからといってそもそもアウトというわけでもない。そもそも研究だのなんだのなら、あえて慎重ではない領域へ(しかし本人としては確実だろうと考えつつ)踏み出すのが通常の営みだろうから。
 だがなあ、これは軽すぎる。違う種類の事故だというのは、公表されているデータからはほぼ確実であろうところ、それでもなお同じ種類のものだと主張するのに”同じカテゴリのセンサを使っている”では無理だ。



航空よもやま話 バーティゴについて(F-35の事故に想う) 2019年6月11日 空飛ぶたぬき

自分の感覚がおかしいのか。計器が故障しているのか。
パイロットの正しい判断・操作としては、「自己の感覚を捨てて計器を信じる。」ことです。
しかし、これが非常に苦しい。
自分自身の感覚を捨てることの難しさ、そして、「本当に計器は正常なのか。」という疑心暗鬼に長時間晒されるのです


 この感覚に耐えて決断できる理性を育てるべきなのだなあと、まあ、学者からはそんな感想。
 先行研究への言及だけで研究者になった気持ちになる素人さんとか学者ぶりたいひととか、いるからねえ。

 でまあ、飛行機乗りのひとは、そうした決断を僅かな時間でせねばならなかったりするわけで、事故の概略を見ると、あーこれ気付けなかったんだろうなあとか、思えて来るんだが。

 ポイントは、ライオンエアやエチオピア航空の例で見られたような、機首上げ行動がまったくないこと、かな。
 素人目にもあきらかだ。1) 計器が狂った数字を吐き出して、計器どおりに直滑降した場合―も、パイロットの空間識に異例な状態が発生していただろうことはまずあきらかで、2) 計器は直滑降状態を報告していたがパイロットは”計器の情報のほうが狂っている”と信じて直滑降した場合も空間識があやしかっただろうことはまず明らかでないか。

 とにかく佐藤氏は、あのエチオピア航空やライオンエアの事故機の高度移動の図を見て、あの悲痛、絶望、苦闘をわずかでも想像してみるべきだ。それをこう、簡単に掛け渡すのは、F35のパイロットに対しても失礼なことだ―パイロットたちの個々の思いはどうであったろうかと、解答のない問いを繰り返し問うところに人間的な営為があるのではないかと思うのだが。





 一応自戒、とは思うがなあ。
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