空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

見ていたtwitter記事メモ(2022-12-07)

2022-12-07 12:01:10 | Weblog
 激烈に忙しい日々、本日は締め切り(a)が。



 こういうことがあったようなのである。







 多すぎると言われてもどう多すぎるというのかという問題はあり―

 …また。子供に親近感を持って寄っていく、昼日中に暇そうにしているおじさんというののそこそこのパーセンテージは知的障碍者~発達障碍者が占めている可能性は大いにあり、危険人物としての通報というより保護のための通報が必要とされるだろうこと、そうした人物に関する一般の認識の要請は痴呆徘徊老人のそれと同様に一般側の努力に期待されるという面がですね…。

 …ンなもんやってられん、というのも正直な気持ちの一種だろう。ンな連中、どっかに押し込めておけ、というのもまあそういう意見はあるだろう。ではどこからそうすべきなのか―という課題がですね…。

 ―という人権の難題を言うくらいなら、子供たちの権利を守れ! 子供たちの命を守れ! という意見はまたあるだろう。子供たちの「価値」は、過去と比べて相対的に上がっているのである。このように数少ない、貴重な社会的資源ではないか、この子たちが宜しく成長してこそ、お前たち子無しの老後を支える税収となるのだ―という説明もあるだろう。

 さて一方で、未成年飲酒はもっと厳格に取り締まってもいいんじゃあ、という見解を最近、目にした。全体として酒もたばこもだいぶ減ってきており、物のついでに健康のためにも未成年の飲酒喫煙はもっと取り締まって厳罰化してもよいだろう―といったもの。

 こういう文脈で参照すれば「子供たちを保護しろ!」という叫びの裏側には、子供たちを管理したいという欲望が「寄り添って」いるのではと疑うことが出来る。大切に保護されるべきものは、そりゃあ大切に―管理されることになるだろう。さて子供たちの自殺数は減らないままでいることをさらに思い合わせてみれば―子供たちの行き辛さというのは奈辺にありや、という感はちょっとする。







 とまあ、親の視線が厳しそうな例もあることである。
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