どうも先日の「ポスト・イスラーム主義への流れは不可逆的な気がするのです(2013-02-03)」が割と受けて,ツイート数が18に達し,しかも見ればいつもの方々にくわえ,とある魔王様にまで捕捉されていた模様。
受けのよいものといえば「「いいからとりあえず『イスラームが』とか口を開く前にこれとか読んでおけ」的リスト(2013-01-21)」もそうである。
共通点は
私市正年『原理主義の終焉か ポスト・イスラーム主義論』(山川出版社「イスラームを知る 11」)
を紹介している・その論旨に従っている(はずの)見解を述べていること。
そんなわけで,上掲記事になにか感じるものがあった向きは私市先生の本を買いに走るとよいと思うのです。日本語の書き方でも大変勉強になるものと思われる(と,私は授業で公言します)。
どこもかしこも引用したくなるほどだが,マリ事情に関連して:
「ネオ・ファンダメンタリストは西欧社会を全否定し,親の出身のイスラームの国にも関心をもたない。クルアーンとスンナ(預言者ムハンマドの慣行)に忠実に従うことのみに意味があるのであって,あらゆる文化を否定する。イスラームは文化ではなく,宗教とみなす。したがってコルドバやバグダードに栄えた偉大なイスラーム文明の価値を認めない。彼らは,具体的な国家建設には関心がなく,想像のウンマの建設をめざして闘い続けることが彼らの目的である」(op.cit. 80f.)
―この文章を引いておくと参考になると思います。
ところで私はこちらで
「コスモポリタン的といえば聞こえがいいかもしれないが,アルカイダやal Shababの国際的メンバーたちは,現実に根ざしてきたイスラームと基本的には関係を持たず―真に大衆的基盤に立脚するのは困難なのだ」
と書いた。
このへんについて思うことこれありましてですな。私みたいな,理想主義的傾向をもって,嗚呼万国の労働者よ団結せよ的なスローガンに心揺れる向きには,彼らのコスモポリタン的属性に何らか親和性を見出したくなるんではないかな。
で,そういう自分の夢を,彼らに投影したくなるんでないかな。
その夢と投影が,現実の分析をゆがめはしないだろうかな。
まあそんな注意を我が心に刻んでみる。
毎日新聞 ひと:佐藤藤三郎さん 「山びこ学校」思いつづった元塾長 2013年01月29日 00時10分(最終更新 01月29日 10時29分)
「1951(昭和26)年に出版された「山びこ学校」。山形県山元村(現・上山市)の中学生43人が、無着成恭(むちゃく・せいきょう)さんの指導で生活体験をつづった。貧しさゆえに医者にかかれぬまま死んだ母の話など、山村の厳しい暮らしを率直に描いた文章は人々を感動させた。一躍時代の売れっ子になった無着さんは村を離れて東京へ。けれども生徒たちに逃れる先はなかった」
受けのよいものといえば「「いいからとりあえず『イスラームが』とか口を開く前にこれとか読んでおけ」的リスト(2013-01-21)」もそうである。
共通点は
私市正年『原理主義の終焉か ポスト・イスラーム主義論』(山川出版社「イスラームを知る 11」)
を紹介している・その論旨に従っている(はずの)見解を述べていること。
そんなわけで,上掲記事になにか感じるものがあった向きは私市先生の本を買いに走るとよいと思うのです。日本語の書き方でも大変勉強になるものと思われる(と,私は授業で公言します)。
どこもかしこも引用したくなるほどだが,マリ事情に関連して:
「ネオ・ファンダメンタリストは西欧社会を全否定し,親の出身のイスラームの国にも関心をもたない。クルアーンとスンナ(預言者ムハンマドの慣行)に忠実に従うことのみに意味があるのであって,あらゆる文化を否定する。イスラームは文化ではなく,宗教とみなす。したがってコルドバやバグダードに栄えた偉大なイスラーム文明の価値を認めない。彼らは,具体的な国家建設には関心がなく,想像のウンマの建設をめざして闘い続けることが彼らの目的である」(op.cit. 80f.)
―この文章を引いておくと参考になると思います。
ところで私はこちらで
「コスモポリタン的といえば聞こえがいいかもしれないが,アルカイダやal Shababの国際的メンバーたちは,現実に根ざしてきたイスラームと基本的には関係を持たず―真に大衆的基盤に立脚するのは困難なのだ」
と書いた。
このへんについて思うことこれありましてですな。私みたいな,理想主義的傾向をもって,嗚呼万国の労働者よ団結せよ的なスローガンに心揺れる向きには,彼らのコスモポリタン的属性に何らか親和性を見出したくなるんではないかな。
で,そういう自分の夢を,彼らに投影したくなるんでないかな。
その夢と投影が,現実の分析をゆがめはしないだろうかな。
まあそんな注意を我が心に刻んでみる。
毎日新聞 ひと:佐藤藤三郎さん 「山びこ学校」思いつづった元塾長 2013年01月29日 00時10分(最終更新 01月29日 10時29分)
「1951(昭和26)年に出版された「山びこ学校」。山形県山元村(現・上山市)の中学生43人が、無着成恭(むちゃく・せいきょう)さんの指導で生活体験をつづった。貧しさゆえに医者にかかれぬまま死んだ母の話など、山村の厳しい暮らしを率直に描いた文章は人々を感動させた。一躍時代の売れっ子になった無着さんは村を離れて東京へ。けれども生徒たちに逃れる先はなかった」
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