リベラルアーツの本質とはなんぞや?
— 麻辣 (@malaxiangguo_s) 2018年11月12日
高等教育を勉強してるけど正直確かな定義付けができない。
というか歴史をやり始めてからマジで謎。
「自由」になるための「技法」というところから詰めなおした方がいいとは思うが、何から「自由」ななればいいんですかね?
— nasastar (@nasastar) 2018年11月12日
少なくともボローニャ大学以降のリベラル・アーツは「専門職養成(近代以降はここに研究者養成が加わる)の前提として必要な科目群」という共通点はある。しかしその科目群の内実に普遍的な合意があるかというと恐らく無い。
— Yoshihiro Hara (@yoshi_h19870507) 2018年11月12日
もともとは「奴隷的な労働からの自由」でした。そこから転じて独立専門職を志向するものになったのではなかろうかと>RT
— Yoshihiro Hara (@yoshi_h19870507) 2018年11月12日
日本の歴史を学ぼうが、古典を学ぼうが、死にはしないだろう。一生その知識を使わないかもしれない。でも、使うか使わないかは、本人も、他人も、よくわからないわけだ。ただし、本人すらわからない多様な将来の選択肢を保証するということも教育の役割。「職業選択の自由」とも関係するのではないか。
— 高尾善希 (@yoshiki_takao) 2019年10月7日
たしかに、弥生時代の銅鐸の知識なんて、個人にとって役に立つのかわからない。しかし、ある発掘現場では、工事現場のひとが「あれ、教科書でみたことがある」と感じたので、貴重な銅鐸の発見に繋がったのだという。そこでは公共の役に立っている。だから、まず勉強してみるということも大事なのだ。
— 高尾善希 (@yoshiki_takao) 2019年10月7日
「祖父が集めた茶器を茶道関係者に見せようと収蔵用の箱を開けた際、この写本を見つけた。この茶道関係者に「青表紙本の本物ではないか」と言われ、調査を依頼」
— たられば (@tarareba722) 2019年10月9日
大河内家も黒田家も凄いけどこの茶道関係者GJすぎる。さすが茶道はトータルカルチャー。造詣の守備範囲激広。https://t.co/CXzxXm0Fx2
生き方の可能性を広げるもの、という、相当深刻なスタート地点を持つわけで、きちんと深刻に考えるといいかなあと。とりあえず、哲学関係の人に話を聞いてみたらどうかなとポジショントークをしたくなる昨今の(ry
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