空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

ヴィーガン非難とオタク非難、その類似と相違

2019-05-30 14:09:56 | ノート


※極端な例を持って全体を見下すってダメだぞ」、まったくもってそのとおりで、それ自体はよいのだ。

 しかしまあ、何が違うかといって迷惑をかける対象をどう捉えているかがちがう。「勝手に問題を拡大して違うものを同じだと言い繕っている」例といわれる余地があるかなあ、と思ってちょっと考えてみた。

α「食肉関係各位にアホな抗議を行なっている人がいる以上ヴィーガン全体がバカにされても仕方ない
β「アホな事をしでかすオタクがいる以上オタク全体がバカにされても仕方ない

 ならべるとはっきりする。αの理由句は「AにBをする馬鹿」という構文だが、βは「B'をする馬鹿」であり、βにはAの要素が抜けている―つまりradical/ militant Veganが馬鹿にされる・否定されるのは、他者(の自由)を侵害することによる、その論点が明らかになる、と思しい。

 さてβ「アホな事をしでかす」のアホなこととは不明瞭だが、例えば長ランみたいな服に缶バッジを数百個つけて練り歩くラブライブオタクの姿が、まあ、アホ極まりないということで玩具のように扱われることはしばしばだ。

 この―時と場所との選択をまちがえて練り歩くあほの類ということなら、見苦しい姿を無駄に公衆に見ることを強要すると言う点なら、ヴィーガンのデモに相当する。この点では同じように馬鹿にされてかまわないだろう。

 で。「アホな事」が不特定であるため難だが、できるだけα「食肉関係各位にアホな抗議」にパラレルな内容を想定してみよう―出版・映像関係各位にアホな抗議、というのが近いか、とおもいきや、これは成り立たない。オタ関係は出版・映像関係がそもそも存在してくれてないと存在自体が危うくなるのに、ヴィーガンからすると食肉業界がなくなってくれたほうがいいわけで、パラレルが成立しない。

 と考えると、自戒の言葉として、オタ側が不用意な・無思慮な言葉を用いることを抑制するために言うのはまあよいが、それでは問題の把握にいささか足りざるところがある。

 伝統的には「アホな事」の内容として、幼女連続誘拐殺人とか無修正エロ漫画とかなんとかを代入するものだろうが、なぜそれでオタク全体を馬鹿にするのが不適切かといって、オタクと幼女趣味ないし無修正エロとは(概ね)一致する概念・集合ではないからだ。

 強姦漫画趣味の女性暴力主義者!という攻撃もあるようではあるが、実のところ強姦漫画はウケがわるく・需要がすくなく(支持者が少なく)、これも不適切な批判ということになる:





 女性に相手してもらえないため女性に対する攻撃性(ばかり)を超強力に練り上げた連中―みたいなステレオタイプは成り立たない。むしろこの筋でいうなら、オタというのは、人としての認知を拒まれたので、せめて虚構の中だけでも代償を得たいという、うんまあ、哀れで惨めな非モテキモおっさんの集団ということには…なりそうではあり…。

 …すまんな刀剣乱舞ファンの女オタ。一緒に馬鹿にされといてくれや、という諦めの言葉が聞こえてきそうである。

 …と。
 …まあ。
 ヴィーガンとオタクと、それらの否定されるべき点とを考え合わすと、どうしてもパラレルになりそうにない極点が存在するっぽい、と思われる。

 私の知る限り、オタ趣味の奇怪な極地のひとつに脳姦なんてものがあり、なんというか私に理解可能な―というか―触れうる限界あたりにあるのだが、私の理解する限り、これでさえ、相手(または対象物)の人格的存在が前提される。それを陵辱するところに快感を覚えるものと思しく、これは相手が人間として存在していてくれないと成立しない(※1)。その貴重な存在を一時の快楽に奉仕せしめるというおぞましさが…あの…。

 …なので、絵や漫画の趣味としてもどうかと思われるところ、現物の犯罪として実際の実在の人物が被害に遭ったなら、これは全面的な非難・否定の対象となるだろう。はっきりと犯罪であり、これを取り締まり、処罰することに異論自体があろうか(…いやまあ、”実際にやったのかよ、うらやましい、おれもやりたい”と言うアホがいるかもしれない、いるかなあ、という可能性は理解する)。

 …他方、エシカルヴィーガンがやらかすタイプのアホなこと、わりと見られる例では食肉店襲撃は―ヴィーガニズムの方針上、原理原則的に、善を勧める一手段に位置しかねない・位置することになる、だろう。もちろんそこらの、まあライトな層は―いつでも離脱できるような層は―『穏健な方法で実現可能なのに、そんな過激な方法はとるべきではない』と言うことだろう。

 しかし食肉業者は、ヴィーガニズム的には、究極にはその存在は不要としか言いようがない。すなわちヴィーガニズムは本質的に食肉業者の類の存在を否定する。究極的には否定すべき対象として、そもそも悪の存在として他者の一群を設定する。そうして自派を新しい倫理の担い手・正義の存在として提示する。

 ここは決定的に、”一般社会から否定されるような類のキモオタ”としてのオタクと異なってしまう。

 解りやすく、他者に攻撃的な趣味、レイプ漫画愛好家を想定しても結局、そうなる。”女性性を性的玩弄物に陥れて”と批判することは可能だが―人間性への重大な攻撃性と評価することは可能だが、この人間性の否定とは、相手に人間性が存在していることを前提とする(聖女のような女性を陥れるのであっても、下劣の極みの女性に処罰としての暴行を加えるにしても)。侵してはならぬ人間性を敢えて―個人的に侵す。基本的には個人的であり、女性性という抽象的価値を侵害するにせよ、女性性の根源的否定にはならない(なったらそもそもこの趣味がなりたたない)。

 …でまあ、現実にやったらダメなこと、という認知も、基本的に存在する。近現代的な、市民社会の内部の存在なのだ、オタク連中は。

 まあそんなわけで、radical militant vegansのアレなところを改めて考えるはめになった代休日である。
 ある種の職業(のひと)をカテゴリカルに否定するってのはマズイのだと、多少は歴史とか勉強してくれないかなあと思ったりもする。



※1
 だって、牛豚鶏の生肉に興奮するひとって少ないでしょ?
 異物に興奮する性癖が存在する…ことは一応わかるが、かといって、塩ビパイプエロ漫画専門誌とか…ないよね…?
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