「職業に貴賎無し」と言いますが、教育もまさにそうで、「下位集団の底上げ」をミッションとする学校を軽視するのは、誤った愚かなことです。社会的効用の観点から考えても、「上位集団のさらなる卓越化」よりも「下位集団の底上げ」の方がエッセンシャルでしょう。研究者もそれを忘れてはなりません。
— YOSHIDA Hiroshi 吉田寛 (@H_YOSHIDA_1973) November 1, 2021
ご趣旨ご尤もで我が意を得たりというところではある。
あるが、しかし現場で消耗したときにはなかなか辛い言葉でもある。
…教育と言うのは受ける側との共同作業であるよなあと思うなど。
カネはらったんだから教育の義務がお前にはあるだろ的な言われようをされましても、身につくかどうかは受ける側の努力と能力とに依存するところがですね?
…小中学校の先生はとっても親身に手をかけてくれたんだ! そうしてくれないお前なんか教師じゃない! という思想も、まあ、そりゃあ自由のうちではありますが、手をかけて貰えないから反抗的な態度をしてあげる! さっさと気づけよ! なんでもっと手をかけてくれないんだ! と内心で叫ばれましても、なんというかもう…ツンデレというのはデレがないとそもそも成立しないし、美少女になってから出直してくれませんかという気が。
―などという冗談はともかく。
そうまで「僕を個人的に世話してくれる人」を求める場合、そりゃまあ家庭教師やらなにやらの出番ということになる。学校教育とは相性が悪い。小中学校ではやってくれたじゃないか! と思うかもしれないが、それは小中学校だからだろう―という回答もありえよう。というか、高校以上ではそうまで親密にならないように配慮するんじゃないかな。人格形成のほうの課題もあり、他者への依存度マシマシのまま…というのは…マズいのじゃないかなあ…。
…「消費者的態度」か。これは言い得て妙な分析概念だ。授業を受け、能力を示さねば単位が出ない―と言う話に対して、授業を受けたんだから合格だろう、という論を返してくるような場合は、なるほど確かにそうと評価できる。
…うんまあその、なんとかなだめすかして、いわゆる「大人になる」のを待つのが現場の対応と言うことになるのだろうけど…教育的配慮というものだろうとも思うけれども…現場は疲弊しますわね。
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