高校の頃、北杜夫氏の「ドクトルマンボウ青春記」に傾倒していた。
旧制高校生のバンカラで、現実離れした寮生活に憧れていた。
しかし、自分は寮には入らなかった。
ワンゲルの同期のTは不知火寮だったので、寮のいろいろな話を聞かせてもらっていた。
中でも、寮歌の特訓は印象的だった。
1つ上の先輩が、1週間かけて、マンツーマンで教え込んだという。
巻頭言のあげ方から、節まわしまで。
そのTが私の部屋に遊びに来たとき、寮歌を教えてくれた。
それが「南に遠く」だった。
あるとき、私がTの不知火寮の部屋に遊びに行っていたとき、突如としてウォーターストームが始まった。
Tはあわてて、私を押し入れの中に隠してくれた。
音だけだったが、勇ましいストームの様子が押し入れのふすま越しに伝わってきた。
ストームは裸、ふんどしが許されるのは2年生以上で、1年生は真っ裸でやるという。
巻頭言をあげ、意気揚々と廊下を踊りまくるストームの首謀者に、他の者はバケツにくんだ水を浴びせかける。
あの時私は、嵐がおさまるのを、じっと押し入れの中で待っていた。
4年生の冬だった。
生協の食堂横の広場に、枕木が組んであった。一見してファイヤー用と分かった。
不知火寮最後の日である。
羽織袴姿や学生服という出で立ちで歴代の寮OBが集まり、終止符を打つべく閉寮の式が始まろうとしていた。
しーんと静まりかえった中、寮の玄関にはしごが掛けられ、玄関上の看板(?)が外された。
みんなの視線がその一点に集まり、諸処に嗚咽が漏れていた。
そして始まった巻頭言。
「仰げば星斗爛煥として 永久の真理を囁く…」
夜空を切り裂く魂の叫びにも似て、遠くで見ていた私の心にも突き刺さる。
ましてや、青春を寮で過ごしてた彼らには…
仰げば星斗爛煥として 永久の真理を囁く
頭を巡らせば不知火 炎炎として 若人の熱を語る
自然の恵み豊かなる この筑紫野の一角 天地の精気凝りて立てるもの
実に吾が佐大不知火寮なり
いざや歌わんかな 我らが朴訥の歌 南に遠く
いざや踊り狂わんかな 我らが熱血の舞 南に遠く
そして始まった「南に遠く」の大合唱。
寮生でもなく、ことの成り行きを遠くで見ていた私も胸が熱くなり涙が流れた。
いわんや…
南に遠く振古より
ゆゑ知らぬ火の熾りたち
あけくれ若き血に煮ゆる
男の子の鴻図うながせば
健児つどへるこの野辺を
人あがめたり「火の国」と
ああ青春よ我にまた
胸に燃え立つ火のありて
ゆくてはるけき人の世の
旅のしるべを求めてぞ
伝へも奇しき不知火を
名に負ふ寮にこもりたり
山抜かんとて持つ力
世を覆はんとて抱く意気
生火となりて血は湧けど
「三年不飛又不鳴」
雲雨を待ちて筑紫野の
月を仰ぎて觴咏す
この「南に遠く」をTの壮行会で一緒に歌った。
その後、このブログのコメントで、Uのお父さんが、かって不知火寮の寮長であったこと、
また、Uも、この不知火寮最後のファイヤーストームを見ていたということが分かった。
Uは今回の壮行会の横の連絡を取ってくれた一人だ。
人の縁の不思議さに驚いた。
山の歌もいいが、「南に遠く」をまた一緒に歌いたいな…
では、その時どこにいたのか?
閉寮式に立ち会えなかったこと、「南に遠く」を先輩方といっしょに歌えなかったこと・・残念でならない。
壮行会で一緒に歌ってくれたkokiさん、ありがとう。