昨日に続いての千葉房総村、今日は「商家の町並み」。県内に残る古い町並みを参考に再現された、17軒の建物で構成されています。 ここから先は有料ゾーンという事で、総合案内所で入場料300円を支払ってチケットを購入。
古い時代の映画のロケにでも使われそうな町並みは、全く知らない世代なのにどこかで見た筈・・と郷愁を誘います。 この不思議な懐かしさ・・何だろうと考えて思い当たったのが、京都太秦にある「映画村」😲。
あそこはもっと時代劇風な景色だったけど、それでも道の両側の景色はとてもよく似てます。 これでお武家や町衆の姿があれば、完璧に時代劇の世界・・・って、ここは房総のむらですが😅
建物のいくつかでは、伝統的な暮らしや道具を作る体験が出来るそうで、申し込みも受付けています。 こちらでは古い鉄を鍛錬して「鎌」を作っている最中、ご亭主殿何度もカメラを向けていました。
真っ赤に焼けた鉄を打ち鍛えて折り返し、火を入れて焼き、また打ち鍛える・・その繰り返し。「村の鍛冶屋」という歌の中に「暫しも休まず槌打つ響き」という一節があったのを思い出します。でも「鍛冶屋」がいなくなったからと言うバカみたいな理由で、あの歌も唱歌から外されたんですよね。
商家の町並みの外れに鎮座しているのは、真っ赤な鳥居の「稲荷神」。横にちゃんと絵馬賭けもあります。
でも稲荷神なのに狐ではなく「赤いさるぼぼ」が、御幣を持って得体の知れぬ何かを祓っています。「病魔退散」と書かれているので、多分この得体の知れない何かは「病魔」なのでしょうが、何故か憎めない顔😅
気がつけばここは村の外れ、自分で何かを体験するとかで無ければ、あっという間に「商家の町並み」は終わり。もと来た道を引き返して、今度は上総、下総、安房地方の農家が再現された区域へ移動。
農家集落の入り口、頭上高い左右の木には縄が張られ、奇妙な何かがぶら下げられています。 傍らの説明によれば、これは「綱つり」とよばれるもので、村に災いが入るのを防ぐ為のもの。 藁で作られた「サイコロ・かしま人形男・えび・木札・たわし・たこ・かしま人形女」。ちなみに「かしま人形」の男女ですが・・・ちゃんとそれと分かるように微妙な違いがあります😅
災いよけの「綱つり」に守られた村は、緩やかな日差しの下で時間が止まったかのように穏やかに・・そこに立つ私は、まるでタイムスリップの気分。
ここでは昔懐かしい竹馬や独楽回しなどが用意されており、子供たちの賑やかな声が響きわたります。 年甲斐も無くご亭主殿も竹馬に挑戦、意外とちゃんと歩く事ができて、子供たちから拍手を貰いました😄
残すは「風土記の丘資料館」。県内各地の遺跡から出土した考古資料が収蔵・展示されています。とはいえ、流石にこの施設の為に費やせる時間は残されていません・・というよりも、完全にタイムオーバー😅 二度目の来訪にも関わらず、何故か初見の場所が多く、ついつい時間を忘れてしまいました。
という事で、房総風土記の丘資料館に住んでいる房総のむら:マスコットの『ぼうじろー』。「館内で育てている野菜に付いた虫を食べる」ことがお仕事の、サラリーマンバードなのです。
「風土記の丘資料館」の一帯は「龍角寺岩屋古墳群」として、国の史跡に指定されています。 学術的な話は難しすぎて私には似合わないので、伝説の龍神の話を脚色込みで紹介します。
その昔・・もっと遠い昔、この地域一帯がひどい旱(ひでり)に襲われ、人々は必死に神様に雨乞いをしました。 それでも池も沼も干上がったままで、乾ききった大地に作物は実らず、人々は飢えと乾きに苦しんでいました。 天上からその様子を見ていた龍神は、自らの体を三つに分けて大地に雨を降らせました。 三つに分けられた龍の体から流れる血は、慈雨となって下界に降り注ぎ、人々を救ったのです。 龍の頭が落ちた地は「龍角寺」、胴の部分は「龍腹寺」、尾の部分は「龍尾寺」と呼ばれ、伝説は語り継がれています。
という事で、この「龍角寺岩屋古墳」のあたりは、龍の頭が落ちた場所だったようです。
訪問日:2014年5月20日&2019年3月17日
私は毎月2回くらい通っています。65歳以上は無料です。
隣接地に「坂田が池公園」と私営ですが「成田温泉大和の湯」あり、こちらも楽しみです。
またおいでください。
コメント有難うございます。
千葉の房総地域は関東の中でもなぜか馴染みを感じ
二度訪問させていただきました。
いつかまた折があれば、是非再訪したいと思います。