栄町龍角寺に所在する、千葉県立体験型博物館「千葉県立房総のむら」。敷地内には、ちば遺産100選で国の史跡に指定されている龍角寺古墳群・岩屋古墳が所在。 また、総面積約32ヘクタールの「風土記の丘エリア」では、文化財建造物等の見学もできます。
2014年に一度訪問した「房総のむら」。2019年の今回はもう少し丁寧に見学します。 安永8年(1779)に建てられた国重要文化財「旧御子神家住宅」。
安房地方で代々農家を営んできた御子神家の住宅で、「直屋(すごや)型」と呼ばれる民家。「直屋型」とは、座敷と土間の屋根が一つになった形式で、平面が長方形の最も基本的な形です。
2014年の訪問では座敷内の見学も出来、そこで不思議な切り紙細工を見ることができました。 基本的には七夕の細工短冊のような切り紙ですが、こちらのものは宗教的な意味合いが込められているようです。
今から思えば、説明のようなものがあった筈なのに、資料となるものは何も残していません。ネットでも探しましたが何処にもこれに該当する資料がありません。
続く「旧平野家住宅」は寛延四年(1751)に建てられたもので、県有形文化財。 建坪は58坪(191.47㎡)、当時の富津地区の農家建築としては、最大級の大きさだそうです。
建物の四方の軒は、桁を前方に持ち出して張り出しを大きくし、屋根の量感を強調。
内部は来客のもてなしに重点をおいたつくりで、当時の名主の生活をしのぶ上でも貴重な建物といえます。
2014年の訪問の際には、やはり半紙を使った切り紙が展示されていましたが、今回は何も有りません。無くなった理由の詳細も不明です。
明治32年(1899)に学習院初等科正堂(講堂)として建てられた「旧学習院初等科正堂」。 昭和12年(1935)に新しく正堂が完成した事で遠山村に下賜。昭和48年(1974)に解体されるまで、遠山地区の小・中学校の講堂として使用されていました。
西洋建築のデザインを取り入れながら、日本の伝統的な木造建築の技術で造られた白亜の講堂。 窓から差し込む光りが床に写りこみ、整然と並ぶ調度類を浮かび上がらせ、否が応でも厳粛な気分にさせられます。
解体後は千葉県に寄贈され、昭和50年(1976)に現在の場所に移築。千葉県立房総のむらは千葉県栄町と成田市にまたがっている為、国の重要文化財に指定されたこの美しい建物の所在地は成田市になるそうです。
千葉市長洲に建てられ、明治13年~明治44年まで使用された、「2代目:千葉県議会議事堂」。 和洋折衷の独特な外観を持つ擬洋風建築の建物は、当時の写真や銅版画によって再現されました。
明日は「商家の町並み」などが再現された「房総のむら」有料ゾーンを紹介します。
訪問日:2014年5月20日&2019年3月17日
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