善通寺の玄関でもあり、弘法大師ゆかりの駅でもある「善通寺市駅」。明治22年(1889)の開業時に建てられた駅舎は、大正11年(1922)の陸軍大演習の際に車寄せ部分などを増築。開業当初切妻造だった屋根は、1991年の改修で寄棟造となりました。
明治22年3月30日と記された建物財産標が存在し、日本最古の現役駅舎とされる愛知県半田市の「武豊線:亀崎駅」。善通寺市駅はそれよりも古い可能性があるとされ、国の登録有形文化財に登録されています。
駅から続く表通りを行くと、ちょうど向かい側に黒漆喰土蔵造りの「瀬川酒店」の建物が見えてきました。中二階の壁部分には、薦かぶり「五岳」の鏝絵看板がその存在感を示しています。
大正6年(1917)に建てられた本瓦葺き入母屋造りの母屋は、国の登録有形文化財に、その後相次いで増築されたなまこ壁の東蔵も、母屋同様に登録有形文化財の指定を受けました。
急勾配の屋根と、ハーフティンバーを施した褄壁がモダンさを感じさせる建物は「大川家住宅」。昭和12年(1937)に建てられたもので、左に見える黒漆喰の大川酒店の建物と共に登録有形文化財に指定されています。
特に大川酒店の屋根の見事なむくりは、和と洋の絶妙なバランスを感じさせ、それだけでも見るべき値打ちがあります。
惜しむらくは・・・母屋が改装中だったこと😔 むろん人様のお宅を見せて頂くのですから不足はいえません。
真っ白の下見板貼りの外壁に、鮮やかなブルーの枠取りが印象的な建物は、「水尾写真館」。大正2年(1913)に建てられたもので、こちらも国登録有形文化財の指定を受けています。
レトロな建物群の中でも際立って特徴的なのは、この鮮やかな色使いのせいかもしれません。
赤レンガの倉庫群は、第11師団の兵器庫として終戦まで使用されていたもの。現在は、陸上自衛隊が同種の用途で引き継ぎ、駐屯地の中でも目立つ存在として活躍しています。
図書館の近くに建てられていた「騎兵連隊碑」。すぐ隣の四国学院大学の構内には「騎兵第11連隊本部」の建物が現存しているそうです。
「輜重隊(しちょうたい)跡」。輜重隊とは、あらゆる軍需品を前線に輸送する部隊の事を言います。
善通寺市の町歩き、ラストは陸軍第11師団将校の社交施設として明治36年(1903)に建てられた「旧善通寺偕行社」。
外観意匠はルネサンス様式で、正面中央にドリス式角柱と三角ペディメントによる車寄せポーチ。正面ペディメントには陸軍のシンボルである星章が金色に輝いています。
竣工年の10月には皇太子:嘉仁親王殿下(大正天皇)が香川県行啓の休憩所として、また 大正11年(1922)には、陸軍軍事大演習参観のため皇太子裕仁親王殿下(昭和天皇)が宿泊されています。戦後は進駐軍の社交場となり、その後も公共機関の建物して使われてきました。2001年に国の重要文化財の指定を受けた後に保存修理工事を実施、創建当時の状態を基本に復元されました。
訪問日:2011年6月18日
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