車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

下田市内~あちこちウォッチ in 静岡県下田市

2018年11月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

「了仙寺」と「ペリーロード」で下田の観光終了!何て言うと、観光協会からクレームきますね(^^;)。 歴史のある町には、特に「○▲○」なんて名称が無くても、実は見所はいっぱいあります。
「了仙寺」の近くに「御獅子神社」という、とても小さな神社を見つけました。

祠の中には御神体である一対の獅子頭が奉納されています。この獅子頭様、何と岩戸隠し所縁の木で彫らせたもので、霊験あらたか!! その為、町内住民の信仰を集める事となり、現在の場所に鎮座された旨、傍らの案内に記されています。

ところで、下田で一番有名な外人と言えば『ハリス』『ペリー』それに『プチャーチン』。三人の似顔絵は「道の駅:開国下田みなと」で見たのですが、『ハリス』以外が怖すぎ(笑) きっと当時の日本人の目には彼らはこんな風に見えたんでしょうね。

ほぼ無理やり(笑)、武力行使をちらつかせて鎖国を解かせ開国に持ち込んだ上記の三人。「下田開国博物館」では、日本開国に係る約1000点もの資料が常時展示されています。

全く興味ないかといえば・・・・なのですが、それよりも興味を引いたのはこの建物の外観。松崎町で、あれだけのなまこ壁造りの土蔵とか見てきたのに、やっぱり良いモノ、美しいモノは見飽きませんね。

さて『ペリー』と言えば、幕末期に活躍した「吉田松陰:ペリー艦隊密航未遂事件」。 弁天島に身を潜めた『吉田松陰と金子重輔』はそこから「ポーハタン号」へ小舟をこぎつけます。しかし『ペリー』に密航を断られた二人は、下田奉行所に自首、奉行所の命により拘禁されました。 下田市立中央公民館の一角には、「吉田松陰拘禁之跡(長命寺跡)」の碑が残されています。

伊豆急下田駅前のロータリーにある、漆喰壁が美しいとてもエキゾチックな土産物屋。なまこ壁の町並みが素敵な下田らしい佇まいに、塔屋の時計台がさらに色を添えています。

下田温泉の看板近くに手湯らしきものを発見!。手をかざすとほんのりと温かい・・そうか、この辺も温泉地なんだね。

駅前の下田観光案内所に立ち寄り、そのまま香煎通りの路地を進むと「喉の神様:香煎塚」。喉の病を癒す術を知っていた「こがせん(はったい粉)好きの老婆」が亡くなった後、懇ろに塚に葬られた経緯が、香煎通り・名前の由来に記されています。

観光案内所近くには、ペリー艦隊「サスケハナ号」の模型と、可愛い龍馬君。別に良いんだけど・・なぜ吉田松陰にしてあげなかったのしら・・・

黒船と言えば、下田港にはこの艦を模した遊覧船「黒船サスケハナ」が就航していますが・・昔、遊覧船に乗って乗り物酔いした前科があるので、潔く回れ右(笑)。

下田湾の間戸ケ浜に浮かぶ毘沙子島(みさごじま)」。ペリーたちの乗った黒船はこの近くに停泊し、島々の詳細な記録を残しているとの事。その当時に朱の鳥居が有ったか否か・・どうなんでしょうね?

「道の駅:開国下田みなと」の敷地内。まるで沢山の鳥がとまっているような景色に思わず立ち止まって見上げた「ジャカランダ」の木。初夏に桐の花に似た青紫色の花を咲かせるそうです。

市街地を抜けて丁度目についた「フェニックス広場」に停車。フェンス越しの海風にあおられてザンバラ髪のまま(笑)見下ろす海岸線。打ち寄せる波は白く泡立ち、風は雨の湿気をはらんでより強くなってきました。

下田市最後の見所ウォッチは、白浜海岸に建立された『北原白秋』歌碑。

【砂丘壁に 来ゐる鶺鴒(せきれい)晝(ひる)久し 影移る見れば 歩みつつあり】

訪問日:2011年11月10日

 


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