車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

古熊(ふるくま)神社 in 山口県山口市古熊

2024年01月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

山口市古熊に鎮座される「古熊(ふるくま)神社」。御祭神は『菅原道真公』、道真公の23番目のお子様であられる『菅原福部童子』を配祀。古来より「山口の天神様」と呼び親しまれています。

由緒「今から620余年前(応安六年(1373))に、大内弘世(ひろよ)が京都の北野天神を勧請し、北野小路に祀っていたものを、元和四年(1618)に毛利秀就がこの地に遷宮した。祭神は菅原道真で福部童子を配神としている。本社殿は室町時代に建立したものをここに移築した。」現地案内より

石段の上、左右より神域を守護されるのは、文政六年(1823)十月吉日建立の扁平頭の狛犬さん一対。固く口を引き結ぶ吽形さん、垂れた耳がおかっぱ頭のように愛嬌のある阿形さん。御年190歳越とは思えない、良い表情をされています。

石段参道を登った先で私たちを出迎えてくれるのは、思わず見上げて感嘆の溜息をつきそうな美しい銅板葺の楼拝殿。

元々は江戸時代中期(1661~1672)頃に楼門として建築されたもので、後の時代に床を張り拝殿として活用。これを「楼拝造」と言い、山口地方の神社には多く見られる形式です。入母屋造・向拝付きで左右に翼廊。昭和24年(1949)2月に国宝に指定され、同年8月に改めて重要文化財に指定されました。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、1990年11月吉日建立のブロンズ製の狛犬さん一対。一般的にブロンズ製の狛犬さんは「怖い顔」が定番で、こんなにフレンドリーなのは珍しいかも。

拝殿の奥に鎮まられる入母屋造・檜皮葺の御本殿は、江戸時代前期(1618)の建立。大正6年(1917)に国宝に指定され、昭和25年(1950)8月、改めて重要文化財に指定されました。

御本殿の縁の内より神域を守護される随身様。何時の時代に造られたものか不明ですが、お顔立ちがあまりにも写実的で、私がそうしたように、見知った誰かの顔を探すのでは😊

拝殿向かって左手、お日様の柔らかな日差しを受けて寝そべる神牛さん。

奥に進むとかすかに感じる水の気配、幾つもの石橋は実際に人が通れるように配置されています。石橋の奥にわずかに見えるのは「三森神社」の鳥居。

木々の合間から差し込む光は穏やかで、そうして空の青を映しこんで染まる「放生池」

放生池の中、亀趺に護られるように建立された道真公の歌碑。

【海ならず たたへる水の底までに きよき心は月ぞてらさむ】

(月はどんなに深く湛えた水の底まで照らすけれど、海よりも深く一点の濁りもない私の心は月が照らし出し、天が照覧して下さるだろう)

背中を苔に覆われた古い神牛さん・・いつからここで余生を過ごされているのでしょうか。

放生池の右手、「三森神社」鳥居の前に芭蕉さんの句碑を見つけて、思わず(小さく)ガッツポーズ。

【鴻の巣に 嵐の外の 桜かな】

境内に引き返し、幣殿の後方、右手に「神楽殿」

神楽殿の前に、梅鉢紋の腹掛けを掛けたブロンズ製の御神馬。

そのまま右手を奥に進むと「金刀比羅神社」の鳥居。

鳥居の左右より神域を守護されるのは、コンクリート製の狛犬さん一対。材質の如何に関わらず、中々に魅力的な表情で、参拝者を出迎えてくれます。

双体道祖神かと思ったのですが、男神様は髭を蓄えておられ、何となく見知った道祖神様とは別のイメージ・・、場所的には狛犬さんたちが守護される一画に建立されていたのですが、仔細は不明。

最後は、大内文化まちづくりプロジェクト実行委員会によって設置された「山口十境詩碑」。大内弘世の治世、応安6年(1373)頃に山口に滞在した「明使:趙秩(ちょうちつ)」が10か所の景勝地を詠んだ漢詩「山口十境詩」を碑に刻み、ゆかりの地に整備。古熊の地は「猿林暁月(えんりんのぎょうげつ)」

曙色初分 天雨霜(しょしょくはじめてあきらかなり てんのしもをしてあめふらしむると)
凄々残月 伴琳琅(せいせいたるざんげつ 、りんろうをともなふ)
山人一去 無消息(さんじん一たびさって、しょうそくなし)
驚起 哀猿空腸断(きょうきすれば、あいえんむなしくはらわたをたつ)

参拝日:2015年11月11日


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