「宗吾霊堂」の境内紹介、~其の二の最初は、は昭和61年(1986)11月に建立された「聖天堂」。 ここ東勝寺を創建した『坂上田村麻呂』の持仏と伝わる「大聖歓喜天像」が祀られています。
境内の奥には、2002年8月、宗吾霊325年祭記念事業として建立された「奥の院」があります。
「奥の院」の近くには、『福沢諭吉』の発意によって建立された「宗吾顕彰碑」、案内文には【諭吉は"学問のすすめ"で、「人民ノ権義ヲ主張シ正理ヲ唱テ政府ニ迫リ其命ヲ棄テテ終リヲヨクシ、世界中ニ対シテ恥ジル事ナカル可キ者ハ古来唯一名ノ佐倉宗吾郎アルノミ」と記している・・】
昭和17年(1942)に建立された木造瓦葺の「大本坊」、信徒講社の研修道場などに使われているそうです。
昭和10年(1935)に開館した「宗吾霊宝殿」。ここには「宗吾様」の遺品や関係文書などが展示されています。
建物の右下に並ぶ「板石塔婆」は市指定文化財で、それぞれに明徳2年(1391)・康永元年(1342)の銘があります。
1991年、大本堂屋根改修工事とともに建立された「慈眼閣」。研修:休憩所として使われています。
まだ木の香りがただよってきそうな真新しい堂宇には「宗吾殿」の扁額。 公式ページにも詳しい説明が無かったので詳細は不明ですが、「宗吾様」関連の何かであることは確か。
「宗吾殿」の前、左右より境内を守護されるのは、護国タイプの狛犬さん。護国タイプなのに、吽形さんは子持。このタイプで子持というのはあまり見かけませんが、仔狛の仕草など好感がもてる狛犬でした。
境内にあった「地蔵堂」の内には、小さな子供を裾にまとわりつかせたお地蔵様が祀られます。
「地蔵堂」の隣にも小さなお堂がありましたが、祀られているのが何かは分かりませんでした。
境内には沢山の石碑が奉納されており、その中で目に留まった何点かを紹介します。 最初の碑には「智積院大僧正:金剛宥性(文政4(1821)~明治28(1895)」の言葉が刻まれています。 読み下せませんが、字面(じづら)からおおよその内容は理解できました。
【一死誠心為萬人 惨刑何憶乃家論 休言義侠空遭戮 菩薩元来誓捨身】
『大須賀清光』奉納句碑・・東勝寺のページには記載が無く、達筆すぎて判読できません。
「寄進記念碑」【人の世の 情けを知るや佐倉の地 親子の絆 語りつがれし】
「明治百年記念奏納碑」【永久に み霊は生きて慈雨となり ひかりとなりて田畑をうるおす】
「鐘楼堂」の手前に建立されていた「すっぽん供養碑」「虫魚鳥獣の碑」。 画像にはありませんが、他に「木材供養の碑」「カレーの碑」なども建立されていました。奉納したのはその業界の方かもしれませんね。
参拝日:2014年5月20日&2019年3月17日
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